百合のつぼみの その如く 清けき真理(まこと)胸に秘め…。卒業式や入学式に歌われる純心賛歌。なんども出席しているうちにすっかり覚えてしまった。
今年の純心短大新入生280名中、この賛歌になじんでいるのは20名だけ。つまり、大半はカンケイナイ高校からの進学。目の前の新入生の口元を見ると明らか。
“マリア様、嫌なことはすすんで私が”というモットーやミサに聖書朗読といったこれまで体験したことのない異文化に戸惑いながら、これからの2年間で、ひとつひとつ身になじませながら純心生らしくなっていくのだろうなあと思いながら、楽譜を眺めるだけの新入生たちを眺めた。
そんな異文化を持つ学校と知りながら定員を上回る新入生があったと聞いて驚いた。学科編成の詳しい中身は分からないが、新入生代表の誓いの言葉で、本学が今どきのニーズに見事に応えているようで嬉しかった。
それに引き換え、ボクの話は、「私たちが皆さんにお伝えしたいことは『人とは何者か』ということなんです」と大上段に振りかざしたものの、空回りしそうな不安にかられて、私たちは「神様の手作り」(エフェソ2.10)という話に。
手作りは既製品と違った暖かみがあります。不ぞろいだからです。また、作った人の思いが込められているからです。作った人の思いは祈りであったりします。これを着て暖かくしてほしいとか、これを食べて元気でいてほしいとか、作った人の祈りが込められているもの。それが手作りです。だから、手作りは、世界に一つ。だから、価値がある。だから、手作りは粗末にしてはいけない。そして、私たちは、「そんな手作りの私でいい、あなたもすばらしい」とみんなが自分であることを認め合い、喜び合い、祝福しあう。そんな「前もって神が用意された善い業」(エフェソ2,10)のために造られた。それが、“神の国”です。あなたらしく輝く2年間であるよう祈ります。
午後、天降川上流に。収穫なし、と失意のうちに帰路につく。なんと、コサギの群れとアオサギに遭遇。それに、カワウにも。残念ながら、手動では鮮明な画像をとることはできなかったが…。それでも、二時間半の気分転換の効果は大。
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