医療の現場でも素人の感性に共通する感性を持ったドクターがおられた!

病気にならない研究をこそ

ムクドリたちは病気しないのかな

ムクドリたちは病気しないのかな

同じようなことを考える人が医療の現場にいることに驚いた。「同じことを考えている」というのは正確ではないと思うが、少なくとも、古い愛車が故障して修理に出し、無事に手元に戻った時の感想のようだった。昨日の南日本新聞のコラムの記事だ。というのも、かれこれ35,6年も昔のことになるが、甥が医学部に進むというので”おめでとう”のついでに持論を述べた。つまり、「病気になった人を治すことも大事だが、病気にならないためにどうしたらいいか研究する医者になったらいい。言ってみれば、病院は、車の修理工場みたいなもので、世の中には沢山あるではないか。十分間に合っているのだから、・・・」結局、親の跡を継ぐべくその道に進んだのだが。

一人一人の目を見て

ウエノケも健在だった

ウエノケも健在だった

昨日の記事を読んで、医療の現場で車の修理と医療の現実を具体的に結びつけることができる感性に驚いた。謙虚というか、誠実というか。そういえばこんな文章もあった。「・・・マニュアル対応で済む話ではなく、患者さん一人一人の目を見て、・・・全てをオーダーメイドで対応しなくてならないのである。」個人的には、マニュアルドクターと後者という両者を体験しているので「そうだ!」と思わずエールを送った。もう一押しして、病気にならないためにもっと踏み込んだ見解をを示していただけたら、日本の医療界に新たな風を送ることになるのではないかと思った。

年相応に

けが防止のついたバトンをハイ

けが防止のついたバトンをハイ

2日前の運動会の練習で、数年ぶりに突然走ったものだから、両足の太ももやふくらはぎに未だに後遺症が残っている。子どものリレーでも侮れない。病気にならないための一つは年相応に振る舞うこと?

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