4泊5日の黙想ミッションを終えて、徒然なるままに記したたわいない断想

新しい愛の世界

もう栗ご飯が

もう栗ご飯が

昨日の昼下がり、最終の話を準備しているとき、なぜか突然口ずさんだのが“新しい愛の世界…”馴染みのMEソングで歌集にも載っている。誰が訳したのかは知らないが、素晴らしい訳語で大好きなMEソングの一つで、MEのテーマソングともいうべき位置づけになっている。「あれ、この歌日本語になっているじゃないか。」思わず吹き出してしまった。会議で耳にした途端、「あ、あのMEソングだ」と気づかなかった鈍感さが悲しい。英語の魔法だ。二回にもわたって、取り上げたりして、とっくに承知の仲間たちは「なんで今頃?」と思ったに違いない。それにしても、英語の響きは何と素敵なんだろうと、正直感動した。つい、体を揺らしながら口ずさみたくなるリズムは日本語版にはないような感じがする。少なくとも、“あなたの愛を失ったら私はどうしよう。あなた以外の誰を探せというのか“みたいな切実感は伝わらないように思うがどうだろう。

それはそうと、ついでにひらめいたことがある。また演歌の話になるが、演歌が聖歌にはなりにくいと書いた。英語のラブソングの場合、この”新しい愛の世界”のようにキリスト教文化を背景に生まれていることが、聖歌として歌っても違和感がないのではないかと思われる。一方、演歌は、情の文化を背景にしている。だから、しっとり歌い上げるのが常道。だから、少なくとも、賛歌には向かない。ただ、“骨まで愛してほしいの”という切実な思いを神様は頷きながら祝福してくださるとは思うが、聖歌となると話は別だ。せいぜい、個人的な霊性のサプリにはいいかもしれない。

自前主義韓国教会の自負

演歌は韓国が源流だというが、聖歌に反映されているのだろうか。おそらくノーだと思う。8日にホームステイした元アジア代表のアレクサンダーの教会のすぐ近くに大きなプロテスタント教会がある。何派か聞いたら、「知らない」だけでなく全く関心がないのだという。なるほど、600万もの規模だと他宗派への関心はおろか演歌から拝借した聖歌などもってのほか。「すべて自前でオリジナル。」アレクサンダーでなくても、韓国の信者なら誰でも胸を張って答えるに違いない。

修道院の今と未来

90歳現役Srの作品(掛け軸も)

90歳現役Srの作品(掛け軸も)

 

修道院の住人は、日本人とベトナム人が半々の12名。7:00のミサで9名の誓願更新。高齢の日本人たちは、若い6名から見ると、故国の「おばあちゃんのようでかわいい」という。中には、“おばあちゃん”から絵の手ほどきを受けている芸術家の卵もいる。そのうち、修道院のミニ売店におばあちゃんの作品と共に新作が並ぶ日も遠くないと思われる。期待したい。今では、ホスチア焼きから菓子製造、畑に料理と6名が責任を負い、おばあちゃんたちは裁縫その他のサポート役。ベトナムでは5名が来日に備えているという。

母院はカナダ。お菓子もカナダ風味

母院はカナダ。お菓子もカナダ風味

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