快晴のゴールデンウィーク後半の昨日、砂像の祭典で賑わう海浜公園の一角にある南薩少年自然の家には鹿児島、奄美はもちろん長崎、東京からさらにはお隣韓国からも、そうそう「マレーシアの〇〇さん」という女性もいた、計70名余りのフォコラリーノが”マリアポリin鹿児島”に参集した。フォコラーレについてはウキペディアに次のように紹介されている。
“ざまざまな活動を通して友愛による世界の団結を目指した、キリスト教を中心とした国際運動。また、それに参加し運動を促進する団体である。キアラ・ルービック(1920-2008)により1962年にイタリアのトレントで本部が設立され、現在日本を含み世界中で約10万人以上の人々がこの運動に参加している。「フォコラーレ」はイタリア語で「炉床/家庭」を意味し、フォコラーレの人々は私たち人間が皆、互いを愛し助け合い、他人と家族のように接することを理想としている。”
「他人と家族のように接する」という解説は参加してみてなるほどと思った。フォコラリーノはフォコラーレ賛同者のこと。マリアポリはマリア様の町ということで、大会のことを呼ぶときに使っているようだ。さまざまな人と言えばプロテスタントの牧師さんもおられた。徳之島からは小中学生が5人も。大人も子供もおそらく初めて会った人もいたと思うが、滞在時間の短いボクには、家族のような親しみとまではいかなくても、旧知のような親しみは感じた。だから、お互いに気を使いすぎることもないので気が楽。一人一人が自分らしく普通にふるまうことができる自由さは居心地がいい。この居心地の良さこそ理想の家庭像であり、教会が、小教区が目指すべき姿。
11時からのミサは時間を過ぎても始まりそうになく、徒歩30分も離れたところだというので、一人で先に行くことにした。「そこをまっすぐ行った橋のところ」と示された方角に向かった先には松林が。10分ほど歩いたところで自転車のおじさんがやってきた。「この先は何もない」というので引き返して右折。それでも、松林の中からなかなか抜け出せない。「迷ったら元に戻れ」の原則に従って立ち返り、それらしい遊歩道をひたすら歩いた。松林の徘徊からちょうど30分たったころ橋のたもとに着いた。時間はすでに11:45。電話を入れると「強風のため中でします」とのこと。
それでは、と踵を返すと目の前にはきれいな芝生のグランドが、その向こうに先ほど出てきた管理棟の赤い屋根が。「なーんだ!」すべてが判明したので、建物めがけてまっすぐに芝生を横切った。すると裏口からなんなく帰還できたではないか。その間わずか5分。汗を拭き拭きミサ開始となった。
5分が30分に思える人がいても、あそこに真っ直ぐという大雑把な指示でも混乱なく事が運ぶ、なるほどそれが家族というものかもしれない。ただ、途中参加でハンパ家族をやったものだから、通訳の必要な人がいたことに気づかず失礼したことをお詫びしたい。ともあれ、昼食後のマリアポリ劇場は家族の絆を確かめるためのメインイベントであるらしいことは分かった。
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