マテオ・リッチが中国で成功したワケ

マテオ・リッチ突然だが、マテオ・リッチの名は歴史の教科書でみたことがると思う。しかし、彼がどんな人物だったかと聞かれたら、ボクの場合、恥ずかしながら「中国で宣教したイエズス会司祭」ということぐらいしか知らない。で、またしてもウィキペディアのお世話に。以下の知識を得た。

1552年10月6日 – 1610年5月11日。1578年26歳の時に「ゴアに派遣された。その後、マカオに滞在していた東インド管区巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノの招きに応じて1582年に同地へ赴き、(中略)マカオで中国語と中国文化の研究を行った。」

ヴァリニャーノと言えば天正遣欧少年使節(1582年‐1590年帰国)を提案したひとで、マテオ・リッチとの関係は上述の通り。ヴァリニャーノの宣教の仕方は適応主義と呼ばれるもので、ヨーロッパのキリスト教の習慣にとらわれずに、その土地の文化に自分たちを適応させるという方法だった。ついでに言えば、フランシスコ会やドミニコ会との違いがここにある。そういうわけで、マテオ・リッチも師にしたがって現地の文化を尊重するという姿勢に徹し、中国の儒者の服を着て中国式の生活をして中国文化の研究に励んだという。

こうした宣教方法が中国で大成功したことになっている。カトリック人口が約300万という数字は、十数億の人口から見ればわずかかも知れないが、バチカンの統計なのでいわゆる政府公認の教会は含まれていないかもしれない。

どうしてマテオ・リッチなのかという話はまだしてなかった。実は、今日手にしたFABC PAPERS No.148の”メディアの神学的局面”という記事に登場したベネディクト16世前教皇の文章で引用されていたのがマテオ・リッチ。「彼はにあたって、個々の人々とその文化的、全人的背景、価値や言語などを常に考慮していた。そして、かれらの伝統に見られるどんなことをも前向きに受け止め、キリストの知恵と真理によって生き生きとさせ高めようと身を捧げた。」

つまり、フェイスブックやツイッターといったメディアを通して人々がやっていることは彼らが必要としていることであって、それは繋がっていたいとか友情であり、また情報の交換であり、刺激を受ヴァリリャーノけ、自己表現にあこがれ等々。こうした事柄は、人としての核となる動きであってイエスとの出会いに人々を開くものである。実際、イエスだけがそんな人々の憧れを満たすことができるわけで、彼らをキリストとの出会いに導くことで、デジタル化の文化がもたらす内面の希薄化や表面的な友情や愛、理性的であるよりも情緒優先、埋没的になったり独りよがりの目立ちたがり屋になったりという弊害からも人々を自由にしてあげることができる。

ともあれ、マテオ・リッチが400年以上も前にとった宣教方法を模範として提示された前教皇の懐の深さを改めて感じた。ついでにと言っては何だが、日本の教会は、人々に通じない典礼用語を筆頭に、いまだ翻訳の宗教に甘んじているように思えてならない。もう一度マテオ・リッチに登場願って適応主義宣教について研究するべきではないのか、

と思った雨の日の昼下がり。

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