肩すかし
「司教さんたちへには辛い時間になりそう。」脅迫めいた情報に、平静を装いながらも一瞬身構えたものだが、あれは何だったのか。緊張どころか面白くも何ともないパネルディスカッションだった。「質疑応答の時間です。誰か…どなたいませんか…」「…」「では、指名します。」全く手応えなし。他教区から司祭を派遣してもらっている教区、外国人司祭を多く招いている教区、司祭が園長であることのメリット、デメリットなど。5人の司教たちが自教区の現状と課題とそれに対する思いを熱く語ったというのにだ。
身近になった
外国籍の司祭が多い鹿児島教区としてその思いを語った。正確に言えば、話したのはほんの一部で、「時間が許せば言いたかったのは」ということで書いてみることに。いろんな国の人がいてカトリック。今のところ、不都合と言えるほどのことはない。むしろ、いいことの方が多い。これまで、第一この私が、行ってみたいと思ったことすらないベトナムがこんなにも身近な国になろうとは想像もしなかった。司祭も含め、信者たちにとっても同じことに違いない。実際、ベトナムファンになった司祭もいる。
橋渡し
一方、韓国籍の司祭はすでに4人。もう1人はおそらく来年叙階されるはず。歴史的にも日本とは悲しい経緯があるだけに司祭たちが両国の橋渡しになっていることは間違いない。とくに、先月の司祭叙階式には100名余りの信者と17名の司祭団、それに1人の司教様が参加され、主の祈りは何ヶ月も前から練習してきた韓国語。期せずして「ホーッ」と小さな感嘆の声。最初の2人は、韓国から巡礼団を鹿児島に招く活動を始め、先月は100数十名、今月末には40名が予定されている。間違いなく国際交流橋は築かれつつある。
鹿児島から宣教師を!
以上は前回も書いたことなので今日実際に話したことを書きたい。僕の本当の願いというか夢は、「鹿児島教区から宣教師を」というもの。ザビエル様が万里の波濤を超えて命がけでもたらされた福音を再度鹿児島にもたらしたのは宣教師たち。つまり、労せずして手に入れた信仰という宝物を携えて「今度は鹿児島の番だ」という気概に満ちた宣教師の派遣。そんな思いのほんの一部を分かち合うつもりで日本カトリック神学院に2人も養成者を派遣した。もっとも海外派遣ということになれば思いのレベルを出ていない。ともあれ、海外などと背伸びしないで、せめて国内戸外宣教で頑張りたい。
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