筋書き通りにいかなかった出で湯の町の入園式

雨上がりの山の中腹からは温泉の湯けむりが。「このお洋服は誰に着せてもらいましたか?」までは良かった。人のせいにするのもなんだが、園長が、「色んなことに挑戦してください。そうしたら、お兄ちゃんやお姉ちゃんのようにいろんなことができるようになります。」”挑戦、もっと子供に分かることばを使えばいいのに”と思ったのがいけなかった。

「園長先生が、いろんなことができるようになります、と言いましたがどんなことができるようになるか教えます。いいですか…」で冒頭の質問。答えは想定通り、「ジブンデ」。5歳の女の子が下を向きながら小さく答えた。「自分で出来たんだって!すごいでしょ!小さい時は出来なかったんです。」オーバーリアクションに頷いたのは父母の皆さん。それに気を良くしたのがまたいけなかった。

「だから、皆さんもいろんなことができるように頑張ってくださいね。」結論めいたことを言ったものだから、筋書きが飛んで、「では、お父さんやお母さんにお話ししますからもうしばらく我慢して下さいね。」ということで、”強い手、強い足、強い心”の話しはパス。ミニ講話の要点は以下の通子供達にはやはりマリア様がふさわしいり。

ここと他に3つの幼稚園で聖マリア学園を構成。どの幼稚園もモンテッソーリ教育法を採用している。マリア・モンテッソーリという女医さんの最初の赴任地は養護施設。彼女の教育法は聖書の人間観に基づいたものだった。エフェソ2章10節「わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られた」。

造られたものすなわち被造物。英語の訳は”handy-work”。つまり、”手造り”。手造りの特徴は、既製品と違って暖かみがある、心が和むなどなど。どうしてそうなのか。作った人の気持ちが込められているから。「元気を出して欲しい、風邪をひかないように…。」これは、祈り。そして、手作りは”不揃い”。これはいろんな問題を含んでいるが、今は触れない。

ともあれ、日本の社会は「人並」を求める社会。”不揃い”、すなわちその子らしさ、個性は敬遠され藤の花も小ぶりだが満開やすい。一人一人を大事にする教育を標榜しても実際は「どこかの国よりも社会主義的」と悪口を言われるほど没個性的な色合いが強い。出るクギは打たれる。

神様の祈りが込められた手造りである個性的な子供たちの良さが輝くために大事なことは”自分で選ぶこと”。自分で選ぶというのは、きわめて人格的、個性的なこと。選んだことを最後までやり抜くことで、「できた!」という満足感と達成感を味わう。そうして、子供の精神的落ち着きが実現し、人格と知力がぐっと高まることになる。子供たちが登園したらまずやるのは教具を選ぶこと。日常生活訓練教具、感覚、数、言語、文化の五分野の素晴らしい教具と子供たちの”オシゴト”を見に来てください。

ここまで話したら、保護者たちの顔が一斉にこちらを向きだした。

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