節目のシドッチ祭

記念聖堂 - 今年のはじめ、外装ををやり直し、雨漏りも解消し、新品の聖堂に生まれ変わった。隣がパチンコ屋で、布団に入ってからも騒々しい、と思っているうちに寝ついたようだった。午前1時に目が覚めた時は、物音一つしない丑三つ時。

何時ものように5時すぎの起床で明かりをつけ、見るとはなしに壁のカレンダーに目が行った。そして、「くらしの標語」に思わず興味を引かれた。「憎しみはいさかいを起し、愛はすべての過ちを償う。」「へ〜。聖書の言葉のようだが…。」早速検索。やはりそうだった!箴言10,12。

一般のカレンダーに、しかも、教会とは無縁の素泊まり3000円の木賃宿(シツレイ)の壁に掛けられた「みことば」に驚いた。表現は悪いが、薄汚い路地裏で立派な身なりの紳士と出会ったような場違いな感じ。貧しさの鏡フランシスコ教皇ならどんな印象を持たれただろうか。

ともあれ、教会掲示板にはこの手の一般受けするみことばがいい、と思った。ちなみに、少し先の11,2には次のことばがあった。「高慢には軽蔑が伴い 謙遜には知恵が伴う。」釣具屋3階の古びた畳の六畳部屋での衝撃的なみことばとの出会い。

朝日の昇る早朝7時、「お世話になりました」だけでよかったのだが、つい、「また来ます」と言ってしまった。もちろん、人の良さそうなご主人には意味不明。カギを受け取りながら、「ハイハイ、ハイどうも。もうですか。早いですね。」またどうぞ、との言葉はなかった。

早朝出発には理由があった。今日の目的地小島の近くの尾の間の山あいにある100円温泉だ。「月曜日は12時からです」の非情の貼り紙。しょうがない。そのまま、教会へ。シャワーでガマンしよう、と思いきや、主任司祭が「お湯が出ません。」万事休す。そんなこんなで、10時の教育委員会主催の「シドッチ神父上陸記念祭」は爽やか気分にはイマイチだったが…。

いつものように、シドッチ神父についてよく勉強されたと分かる素晴らしい町長祝辞の代読と鹿児島教区司教の挨拶をもって20分弱で終了。町側の事情により、来年からは、当分の間、教区主催となる。

1時のミサには2組の巡礼団が合流。総勢30名ほどが小さな聖堂に溢れた。シドッチ神父没後300年となる節目の年だったが十分な準備ができなかったのが悔やまれた。

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