告解部屋はくつろぎの場
いつくしみの聖年のために”いつくしみの宣教師”が派遣されるという話は、鹿児島教区ではあやふやなまで結局実現しなかった。しかし、お隣韓国の教会では宣教師が任命されたという。数年前鹿児島にも来られたインチョン教区の未来司牧研究所のチャ神父様から毎月英語版の機関誌が届くが、表紙を飾るのは話題性のある司祭ということになっているらしい。最新号の表紙は、昨年“いつくしみの宣教師”に任命されたクー・ヨブ神父様。“邪悪な時代の善き牧者”というタイトルが添えられてあった。宣教師となるにあたって心がけたことは、「告白室が信者たちにとって小さなくつろぎの場になること」だったという。あの窮屈な部屋がくつろぎの場などという発想はしたことがないので驚いた。
告白は白状?
ラテン科生の頃、月一回の赦しの秘跡を済まして外に出ると、廊下で待っていたスータン姿の先輩から「ちゃんと白状した?」と聞かれて思わず笑ってしまったことを忘れない。告白にしろ白状にしろ、辞書で引き比べても両者の意味は同じ。しかし、白状となるとやはり犯罪人が無理やり罪を吐かされるイメージが強い。そんなイメージだと、告白の部屋がくつろぎの場どころか、判決を受ける場になってしまいかねない。だから、やっぱり告白の方がいいに決まっているのだが、かなりの緊張の場であることには変わりはない。
風は種子島から
ところで、種子島教会に告白場はない。先月のミニ黙想会で赦しの秘跡に使用したのは集会室。ソファーにかけて待っていると三々五々、信者たちがやってきて腰を下ろす。始めのお祈りと招きの言葉が型通り進んで告白となるまでは部屋の中と同じだが、あとはまるで違う雰囲気に驚いた。まず、罪を述べ立てて「以上です」というパターンではなく、全く普段の口調で胸の内を語るという雰囲気なのだ。さとしの時間も顔を上げ、「なるほどそうですね」と合いの手が入ったり、質問があったりとまるで対話。退室時には、明るい声で「ありがとうございました。」こんなにも充実した告白の時間は初めてのように感じたほどだ。
説教は苦痛カモ
明日は鴨池教会の堅信式。中高生に大人の13名だという。準備の一環として赦しの秘跡も受けたと思うがどんな雰囲気だったのだろうと思う。狭い部屋で緊張しながら小さな声で罪を告白し、赦しをいただいてホッとしたにちがいない。くつろぎのひと時どころか苦痛だったろうなあ。ともあれ、「堅信の秘跡とは?」…「大人の信者になる秘跡」…「大人の信者とは?」説教でまた問答しようかな。どんな反応をしてくれるか楽しみではある。中高生には苦痛カモ。
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