メアクルパ
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ザビエル教会階下の馬小屋
この数年、小教区でのクリスマスが続いたのでカテドラルでは久しぶり。それというのも、親友夫婦が洗礼を受けるというので司式したいと思った。洗礼式では諸聖人の連騰が歌われるが聖歌隊とソゴをきたし、結果的には担当者を無視する形になって申し訳なかった。本人はショックだったらしい。ミサ後、「カクカクシカジカ」立ち話でめでたく和解?成立。それにしてもボクは奉仕者を傷つけることがよくある。これで三回目?メアクルパ…。
Xマスでも普段の日
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昨晩とは打って変わってガラガラ
ともあれ、二階席まで人であふれたミサはそれだけで熱気を感じた。本命のクリスマス当日になると世の人々にとっては普段の日となるのが少し悔しい。平和と和解、そして赦しというクリスマスのメッセージが参加した人々の心に日々こだますることを祈るばかりだ。
遠来の友と
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書くことは深いが話すのは苦手
ミサ後の茶話会では、親友夫婦とも親しくなった三重から駆け付けたME仲間のご婦人を交えてしばしの歓談を楽しんだ。自己紹介での親友の言葉(タイトル)に思わず「彼らしい。」
鳥たちのクリスマス
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誰も排除されない
明けての今朝10時のミサは司式するだけだったが主任司祭の説教はやはり赤ん坊を巡って。人はどうして赤ん坊を見ると思わず「可愛い」と言って寄っていきたくなるのか。彼が、赤ん坊から読み取ったメッセージは「だれでもおいで」(別の表現だったカモ)というもの。なるほどと合点した。来るものは誰も排除しない、させない。どんな場合にしろ、誰であろうと「誰でもどうぞ」と言ってもらうとうれしいに決まっている。だから、メリー・クリスマス!あ、主任司祭のメッセージの結論とは違うかもしれないが、悪しからず。
探鳥会
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アオサギの懐にコサギが憩う
お昼の後、甲突川河口でクリスマス探鳥会。久しぶりに自転車をこいだ。対岸の岩場には多くのアオサギやコサギ、カモメにヒドリガモがクリスマス休暇?を楽しんでいた。ニコンの新兵器で数十枚収めた。
30周年
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生きるのがつらくても愛らしく
あ、そうそう、もう一つ心に止めてほしいことがある。実は、今年が相談電話、鹿児島きぼうの電話の30周年。23日に関係者が集まってささやかなお祝いが持たれた。開設当初は80数名のボランティアでも今は20名弱。文字通り隔世の感、大。しかし、「電話をしても出ない日が多い」としても、「たまたまとってくれる人がいた」でも継続する価値があることで全員一致、は頼もしく嬉しかった。
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