書き換え聖書
今日の福音は、「五つのパンと二匹の魚で5千人の人が食べた」(ヨハネ6章1節以降)から。その後、イエス様は1人山に退かれ、弟子たちは船でカファルナウムに向かった。嵐になって大騒ぎになった時湖上を歩く主と出会って一命を取り留めた話が続く。一方、パンと魚で満腹した群衆は置いてきぼり。小舟に分乗して後を追った。「いつここにおいでになったのですか」と詰め寄る群衆に返された言葉がきつい。「私を探しているのは、…パンを食べて満腹したからだ。」群衆はうろたえた。「え、え!?では、どうしたらいいのでしょうか?」「神がお遣わしになった者を信じること。」こんな感じの話が延々と続き、「そのパンをいつも下さい」で終わるかと思ったらまだ続いて、「私が命のパンである。」と質問の余地も与えないほど一気にまくしたてられた。
イエス様、私的批判です
群衆がやっと口を挟んだ。「私たちの先祖は荒野でマンナを食べましたが…」これでさらに火が付いた。「私が命のパンである!」を繰り返し、「先祖が食べたマンナとは違う!」ここで終わればよかった。しかし、「私のパンとは私の肉のこと。わたしの肉は真の食べ物。それを食べ、私の血を飲むものは…」と言われたものだから、群衆だけでなく弟子たち(12名以外に多くの弟子がいた)までも、思わず「オエーッ!」(とは言わなかったが)が、「実にひどい話だ。誰がこんな話を聞いていられようか」と去ってしまった。残念!としか言いようがない。もっと分かりやすく噛んで含めるように話してくださればよかったのに。不満の一つも述べたくなる。イエス様宣教失敗談といっていい。あ、いや、そんなことを書くつもりではなかったのだが、つい力が入ってしまった。ともあれ、今日はミサ後おとなしく引き上げた。帰り際、二人の高校生の母になったケイ子ちゃんに会えた。面影をたどったが華奢でシャイな色白の彼女だけが思い出された。歴史の厚みみたいなものを感じた。
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