崎津教会巡礼
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メインストリートにできた自然のアート
思いがけない崎津教会巡礼。思いがけないという言い方は正確ではない。友人との会話の中で、この10年ほどすっかり恒例化した年二回の小旅行のことが持ち上がった。正確に覚えていないが、軽いのりはいつものことで、「行こう行こう!」となったらしかった。たまたまの用事で携帯を開いた。話が終わって電話を切ろうとしたら、「ところで」と彼が話題を変えた。「崎津はいつがいいか」とのこと。予期しない問いかけにドギマギしながら予定を確かめ、「今月の4,5,6ならいい」と返事した。こうして、すっかり念頭から消えていた、40年ぶりの崎津教会巡礼となったワケ。
40年ぶりのフェリー
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奥の山は天草
4日は友人宅で一泊。翌日6時半にミサ。8時半出発。予報に反して好天に恵まれ快適なドライブを楽しむことができた。長島蔵之元港で友人親子と落合って車を乗り換えた。蔵之元港と言えば、かつては長崎巡礼への最短ルートということで何度利用したことか。高速道の整備と新幹線のおかげで利用する機会も皆無となっていただけになつかしさひとしお。約30分の航海中ずっと甲板で過ごした。心地いい海風と青く透明な海岸線が美しかった。
40年の重み
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手前の堤防はなかったように思う
牛深市を出て間もなく真新しい崎津教会の案内板。世界遺産効果を実感。40分ほど走ったところで教会着。対岸からみる教会は集落に溶け込み、しっとりと落ち着いた雰囲気が心にしみ、車を降りてしばし見とれたものだ。40年後の今回は、整備された道路にもはや路肩の草むらはなく、後続車の多さに一時停止もかなわなかった。それに、たたずまいは同じでも、どこか色あせた感じで、当時のしっとり感はなく少しがっかり。40年という時間の重みを感じた。それにしても、この落ち着かない感じは何だろう。
したたかさの勝利?
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観光客がひっきりなしに来ていた
細長く伸びた集落の中を歩いた。天主堂の後ろ姿を見ながら進む格好となった。資料館も整備されていて、教会に入る前に立ち寄って勉強会。崎津の信者たちが、ある時は神社の氏子を装い、ある時はお寺の門徒になりすまして役人たちを翻弄したというしたたかな生き方に思わず握手を送った。もっとも、最終的には発覚して咎めを受けることに。「天草崩れ」(1805年)と言われるのがこれ。全員処刑にすると年貢の取り立てもできなくなるというので大目に見てもらったという。当時のキリシタンは崎津をはじめ他3村で約5000人にも上ったという。残虐な迫害の様子を目にしなかったので何かほっとした。
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