説教実習
「郡山君の説教を聞いている人はもう三回立った。」神学部4年と言えば司祭叙階1年前。夏休みが明けたら説教の実習が始まる。ボクの説教を聞いた担当司祭の開口一番が冒頭の言葉。「もう終わりかな、と思ったらまた始まったので慌てて座り直した。信者たちは三回それをやった。第一、10分以上話しても聞く人はいません。」何分話したか忘れたが、あのときの酷評は40年経っても忘れない。
10分説教
つい数日前、「説教する人は司祭も司教も10分以上話してはいけません」というフランシスコ教皇の記事を読んで今日から本気で励行することにした。「信者に話す機会は多くないので」と20分かそこらを平気でやっていたものだ。指宿に来て、日曜日はもちろん毎朝のミサでも数分の説教をしている。教皇の言葉に本気で「10分説教」にチャレンジすることにした。で、今日は9分14秒。
聖霊によって一つになれる
今日もキリバスの漁師さん4人が参加。一人はプロテスタント。今日はボクが失念したのでパスしたが、主の祈りはタガログ、ベトナム、日本の順序で歌うことにしている。フィリピンからの提案で、来週から「慣れているから日本語が先がいい」ということになった。「キリバス語でも歌います」ということだったので入港したときは4カ国語での主の祈りが聞けることになる。楽しみだ。
ミサ説教音声
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