やっぱりそうだったのかとギネンが晴れた
大航海時代の波にのって宣教師たちが世界各地に乗り出した。時代の流れに乗り遅れなかった姿はさすが。おかげで鹿児島にも信仰が伝えられた。ただ、疑念と言えば大袈裟だが、ザビエル様も胡椒が大きな利益を生むからなどと貿易のことでアドバイスをしていることに「宣教師がそんな下世話な提案をしたりしていいのかな」と思ったりすることはあった。それ以上は知る由もなかった。
しかし、表題の大作には当時の膨大な資料を基に貿易による収入で司祭達の生活が成り立っていたことが具体的に記されていて目からウロコだ。アルメイダはじめ巡察師ヴァリリャーノは日本の文化の高さを評価できたらしいが、管区長のカブラルは全く上から目線だったらしい。それにしても、神社仏閣を破壊したことはまずかった。諸宗教懇和(話)会など夢のまた夢の時代とは言え悔やまれる。
1580年マカオにてアルメイダ司祭叙階
1583年、先月訪問した天草市河浦町で帰天したことになっているので、司祭職は晩年のわずか3年間だけということになる。なぜ早く司祭にしなかったのかは謎。ともあれ、前回、アルメイダは「神父さんではなかった」と書いたことを訂正しなければならない。著者にお詫びしたい。「すみませんでした。」
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