それは恒例の天草巡礼から始まった
昨年の天草コレジオ館で出合った一冊の分厚い本「アルメイダ神父とその時代」。学芸員の玉木さんが書かれたj本で、まるで、「信者玉木氏のアルメイダ同行記」かと思わせるほどに詳細かつ信者のような語り口。ただ、アルメイダはイエズス会の宣教師だが神父さんではなかったはず。ま、それはどうでもいいとして。
396頁もあるが、三分の二ほど終わって書きたくなったのは当時のイエズス会の宣教方法と迫害、そしてシノドスのこと。というよりもシノドスが先かもしれない。第一会期の会場の様子が紹介されているが、参加者は枢機卿から信徒に至るまで混成で全員が丸テーブルについて、発言は平等に3分で全員が投票権を持つ。しかも副議長の一人は日本人の女性信徒。今年の第二会期には、スータンなし、ローマンカラーナシの平服にしたらいいと思う。
教会の同義語はシノドス
ともあれ、日本から参加した神父さんの記事によると、「教会とシノドスはもともと同義語」みたいなことが書いてあった。なるほどと思う。現教皇には「教会が創立者と共に歩んでいないのではないか」という危機感があるに違いない。「私についてきなさい」と声をかけられて、仕事中にもかかわらず、すべてを置いて「従った」のだから、招いたお方に忠実を尽くすのが弟子というもの。なのに…、と言いたいのでは。
イエズス会を卑しめるつもりはないが…
16世紀の日本で活躍したイエズス会士たちも「日本人は見てくれを重んじるから」といって絹という上質の生地で修道服を作り、貿易にも手を出してかなり裕福だったという。しかし、1570年、天草の志岐(現苓北町)で開かれた第二回宗教会議で「贅沢は慎むように」との自己反省をしたが貿易を禁じることはなかったらしい。それも過去のことだからいいとして、素直な反省、これが教会の心。
1517才の教会は反省の力を失った
ルターが「間違っている!」と当局側を批判したとき、バチカンが聞く耳を持たなかったことが悔やまれる。「そうだな、私たちも図に乗り過ぎた」みたいに立ち止まればよかったのに!と思う。ま、これも過ぎたことなので、当時の教会の弱さを受け入れるとして、フランシスコ教皇が頑張っているシノドスを機会に「私たちは創立者の思いを共に生きようとしているか」ガリラヤ湖畔の漁師たちに倣ってすべてを投げ打つつもりで見直すべきではないかと思う。2024歳になった教会が原点に立ち返って「共に歩む」人生観を延べ伝える宣教が始まる。
信者でもない著者が大事なことに気づかせてくれた。
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