信者の合い言葉
一族と別れて古里を後にしたアブラハム一家の足跡こそ、離れて従う、という数千年にもわたって引き継がれてきた信仰のパターン。それは、新約に入って、まずマリア様の「なれかし」に引き継がれ、子どものイエスさまに引き継がれ、そして、ガリラヤ湖で漁を生業とする弟子たちに引き継がれた。「私についてきなさい。人間をとる漁師にしよう」と声をかけられたペトロとアンデレの兄弟は、「すぐに網を捨てて従った」(マタイ4.19-20)。アブラハムと全く同じ行動パターン。そして、これを引き継いできたのが教会であり、私たち信者。で、私たち信者の合い言葉は自分のエゴを「離れて従う」。
また来ます
鰹節工場で働くベトナム人女性は10人ほど。一番若い2人は日曜日のミサをほぼ欠かさない。30分ほどのカテケージスを終わって司祭館に戻ると、二人を囲んでの茶話会が始まっていた。聞くというと、2人は、この3月で3年の契約が切れるので、帰国するのだという。一人はいったん帰ってまた来るのだが、場所は未定。もう一人は、帰国しなくてもいいそうなので、そのまま山川に残るのだという。和やかなお茶会とはいっても、日本語の聞き取りが十分ではないので、自ずと二人だけの会話になってしまう。スマホで何かやり取りしているので、聖書のアプリを教えてあげようとしたのだが、ボクのスマホにラインを見つけ、手にとってなにやらいじり始めた。二人で楽しそうにおしゃべりしていると思ったら、「ハイ」と言ってスマホを帰した。見ると、チャッカリ、オトモダチに入れてあるではないか。記念撮影の後、「3年間ありがとうございました。また来ます。」キチンと挨拶して教会を後にした。分かれて、ふと思いついたので、今朝の説教音声を先ほどのラインで送ってあげた。しばらくしたら、ウサギさんの「嬉しい!」スタンプが帰ってきた。そうだ、毎日の2,3分の説教も送ってみよう。そして、来週感想を聞こう。これって「責める宣教にならない?」
ミサ説教音声
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