「かつては青々と茂った深い森で生き物でも何でも一杯でした。弓と矢で仕留め十分食べていけました。子供たちも健康そのものでした。ところがどうです、今じゃ、そんなものありゃしません。小川だって干上がってしまっています。これまでにない最悪の年です。」村のリーダーのユアニートは肩を落とした。
彼らは自然と共に生きてきた人たちだ。どこでイチゴを採り、はちみつを集め、多くの食用になる植物を手に入れることができるかみんな分かっていたのだ。つまり、彼らの生活は全くの天気任せで、いつ雨季になり、いつ植え、いつ収穫すればいいかという天気の移ろいを心得ていた。しかし、この数年、とくに昨年の酷暑に状況は一変した。気候変動は彼らの生活までも変えてしまった。今や、彼らは厳しい困難さと貧困に直面しているが、どうしてこんなことになったのか理解できないでいる。
目の前に広がる畑地にかつてのバナナ園や野菜畑はもうなく、枯草だけが覆っている。「すぐにでも雨が降らないのなら、私たちはここを離れて町に行き、とおりで物乞いをするしかないのだ。」リーダーの苦悩は深い。しかし、自然は容赦しなかった。数カ月も続いた干ばつの後にやってきたのは、恵みの雨どころか、季節外れの台風だった。屋根を吹き飛ばし地すべりを引き起こし、村人がこのところ記憶にないほどの強い台風に見舞われたのだった。
そもそも、こうした温暖化による災害の要因をなした国が、アメリカをはじめ中国、インド、それに日本。これらの国が排出する二酸化炭素によって地球がちょうど毛布でくるまれた格好になっていわゆる温室効果を引き起こし、2℃の気温上昇をもたらしたというわけだ(以上月刊World mission12月号より)。
COP21(Conference Of Parties締約国会議)がこれほどの深刻な状況を背景としていることに驚いた。認識不足と言われると言葉はないが、環境回勅の日本語訳を待たずとも、あのフィリピンの山の人々のことを思いながら今できることをコツコツとやるしかないことを再確認。
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