教区司祭団年の黙想会最終日のミサ当番はボク

そこで、説教は講師の幸田司教さんに振った。

そこで、と言ったのは福島原発事故で甚大な被害を受けた地域の教会で活動を続ける司教さんの話はまさに福音に記されているそのままだったからだ。これまで平和に暮らしていた人々が故郷を追れただけでなく分裂したり家庭崩壊を招いたりしているという。

「私が来たのは地上に火を投ずるためである。その火がすでに燃えていたらと、どんなに願っていることか。…」(ルカ12,49-53)。これも分かりにくいが、イエス様が来られたのは神の国を建てるためなので、火とは神の国のこと。

平和ではなく分裂をもたらすため来たと続くわけで、神の国とは矛盾する。いよいよ分かりにくい。親子もみんなが対立してバラバラになると締めくくられている今日の福音はもうめちゃくちゃ、と言いたくなる。

今日の福音で言いたいことは、主が受ける洗礼とは死と復活のことなので、今の苦しみや悲しみ、つまり諸々の悪は誰もが御父にホッコリ包んでもらえる神の国に至る人の道ということ。だとしたら、もっと早めてはもらえないかとお願いしたくなるのだが。

イエス様が地上でのご存命中に見た悲しいバラバラという現実は今もあるどころか、ますますひどくなっているとしたら、イエス様の嘆きはいかばかりか。最近目にするようになった分身を意味するアバター。その人に成り代わって物のやり取りも可能。

福音を手渡すと喜んで受け取って読み、読んだ人が次々とハッピーになっていく。気がついたら世界から争いが止んで平和になるという筋書きで”さくらアバター”を大量に増殖させる。ノーベル平和賞ものだが…やっぱり空想か。

ヘブライ書の読解は深く素晴らしい

ヘブライ書の読解は深く素晴らしい

黙想会「キリストの祭司職を生きる‐ヘブライ書に見る私たちのミッション」まとめ

①キリストの祭司職は神と人との橋渡し。神と人との両方のつながりをしっかり生きる これがキリストの祭司職。何かできるわけではないとしてもあらゆる面で一緒にいる。②宿営の外(レビ記14,3他)。つまり、フランシスコ教皇が言う”教会の外に出かける教会”。いつでも用意ができているとイメージで、出口に立つ教会ともいう。      ③教会は野戦病院。いざというときに野戦病院になれるか。

 

 

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