終生誓願式

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神様に全面降伏。「私たちはお祈りするために来ました!」8年ほど前、ベトナム人の若い志願者4人が鹿児島の観想修道会にやってきた。シスターに連れられて挨拶にやってきた時のことばだ。頼もしいようでもあったが、正直言って、「まだ20代、観想会がどんな所か分って来ているのだろうか?」との思いの方が強かった。一人は、同じ会の別の修道院に移ったが、日々の精進が実り、晴れて今日の終生誓願となった。

故郷ベトナムからの家族の参加はなかったが、同観想修道会招聘を決めているコントゥム教区の司教様が列席され、共同司式された。他に、教区のベトナム人司祭3名をはじめ、教区内外から10数名の司祭による共同司式ミサは、おそらく修道院始まって以来。会衆席には、阿久根に派遣されている4人のベトナム人シスターたちの姿も。

諸聖人に執り成しを願う連願が歌われる間、3人は司祭叙階式同様床に伏した。自分を無にして、すべてを神の手に委ねるという意味。英語にSurrenderという言葉があるが、明け渡す、降伏する、放棄するなどの意味がある。どことなく、戦いをイメージさせる言葉だ。素直に「ハイ」と言えない時は多いが、それは、自分が人知れず繰り返される自我との戦いの中にいる証拠だ。

キリストの花嫁となって。そんな日常の些細な戦いに対しても、武装解除して、神さまの前に身を投げ出し、全面降伏Surrenderを誓う。これまで何度か繰り返された誓願更新の集大成としての終生誓願式にはこうした意味合いが含まれているように思う。そういう意味では、30かそこらの若い彼女たちにとって、共同体の前で、司教司祭、信徒の前で「神様に全面降伏!」を宣言することは歴史的な一大事と言える。

長い連願が終わって床から立ち上がった3人の顔は涙にぬれていた。思わず感動して「ウッ!」ときた。そして、嗚咽しながらの誓願文朗読に、後ろの席の5人の若い有期誓願者たちも目を真っ赤にしながら見守っていたのが印象的だった。孫のような3人の斜め後ろに控えていた院長さんによって3人の決意を受け入れる旨の宣言がなされると、3人が立ち上がり、全会衆と共に信仰宣言。それは、いつになく力強く、高らかに聖堂を揺るがした。キリストの花嫁としての花の冠と指輪が授与され終生誓願式が終わった。

式後、一般人の立ち入りが禁止されている禁域が解放され、いつもは静かな修道院が賑やかな社交の場に変わった。会食に続いての演芸発表会は、いつものように、若い彼女たちの臆することのないダンスや歌でにぎやかに進行。

高齢化が進む修道院に希望の光を感じながら1:30、帰路についた。

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