県外に住む鹿児島教区報の愛読者から古い本が贈呈された。台湾巡礼のことを知って、是非にと送ってくださったもので、父上が著者の「輝く霊は義人呉鳳」。昭和5年発行で昭和9年第三刷発行となっているので、当時かなり評判になった本のようで興味深く読ませてもらっている。
呉鳳(ごほう)がどういう人かネットで調べてみると、いくつかのことが明らかになった。先ず、呉鳳(1699-1766)はウー・フェンが正しい読み方で、福建省から嘉義に派遣された知事。阿里山(ありさん)地方の首狩りの習俗をやめさせた人だと分かった。中華民国政府は学校の教科書にも載せ、地名も阿里山郷から呉鳳郷に変えた。その経緯が1932年、日本人の手で映画化された。ただ、呉鳳を巡っては二つの説があることも分かった。
一つは、呉鳳が人々を慈しんだこと。阿里山の人々に首狩りの風習をやめさせたいと思ったこと。しかし、いかに説得しても最終的には聞いてもらえなかったので、一計を案じ次の提案をしたこと。「…それではもう一回だけ赦そう。明日、赤いマントを着た人が通るからその人の首を取ればいい。」そして、翌日、通りかかった赤いマントの人を殺してみると呉鳳であると分かって人々は驚き、号泣し、二度と首狩りはしないと固く誓った。その後、阿里山の人々は首狩りの風習は止め、決して人に害をくわえることがない。それも、呉鳳の命を捨てた偉業による。
「この話は、統治者が作り上げた話で、呉鳳はもともと商売人で、あくどいことをして人々の反感を買って殺された」というもの。つまり、漢人が推し進めた原住民の文明化を日本も推進したわけで、呉鳳伝説をうまく利用したというもの。当時の社会の主流派である統治する側の優位性を強調するもので、阿里山の人々からは支持されていないようである。実際に、1987年になって阿里山に住むツォウ族から政府に対して、原住民差別撤廃と共に地名の変更と教科書から呉鳳伝説削除の要求が出された。
もっと詳しく知りたいというのがアダになった感じだ。水を注されたが、それでも、グーグルマップで著者の足取りをたどりながら阿里山紀行を読んでいる。楽しい。
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