シノドス第二会期(10月2日~27日)の準備会議から

教会の罪がテーマになる?

10月1日の夜には、教皇司式による「徹夜の懺悔」も行われるという。その様子は世界に配信れ誰でも参加することが出来るらしい。特に若者たちの参加が期待されているという。「若者は私たちの罪と教会内の罪のために苦しんでいる」からだそうだ。

教会の罪とは?

誰もが、すぐにパワハラ、セクハラのことを思うに違いない。ボクが瞠目したのは、たくさんの罪のリストの後半で示された「教義を他者への”石”として使う罪」。具体的な説明はないが、ボクが思ったのは「主日のミサをサボったらゆるしの秘跡を受けないと聖体拝領ができない」のは確かに”石”をぶっつけていることになるのではないか?

明らかに”教会は野戦病院みたいなもの”という発想と矛盾する現実に満ちている?「告解さえなければ信者は増えるのに!」若いころに聞いた信者たちの本音が今も鳴り響いている。「そうは言ってもなー」当時は、それ以上の言葉は出しようがなかった。

バチカンが同じ嘆きを口にした?

台風接近で楽しみは半減したが、そのうち、雲も晴れてまん丸の十五夜月が教会の上空に輝くはずだから、今はこれで良しとしよう。

台風接近で楽しみは半減したが、そのうち、雲も晴れてまん丸の十五夜月が教会の上空に輝くはずだから、今はこれで良しとしよう。

「あの人、ご聖体上げてもいいんじゃないでしょうか?信者たちもそう願ってますが。」婚姻の秘跡が破綻し、再婚して20数年。主日のミサを欠かさないだけでなく穏やかな人柄もあっての嘆願となった。「そうだね。」文字通り衆議一決、煩雑な手続きパスで、司教叙階直後の掟破り事始め。間もなく同伴者も受洗。晴れてカトリック夫婦となった。

教皇はアルゼンチンでの司牧活動で似たような体験をたくさんしていたに違いない。そして、ラテン民族のおおらかさ故の掟破りも一つや二つではなかったに違いないのだ。根拠のない独断だが。”野戦病院”の発想はそうした背景から生まれた?

ともあれ第二会期とその実りに期待したい。

その時はホントの月見て一杯!

その時はホントの月見て一杯!

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