先日から読み始めた「義人呉鳳」は伝記というよりも紀行文風の博物誌ともいうべき趣の本で、植物について博識であるだけでなく、部族の生活や社会についても詳しい。先月訪問したばかりなので、改めて出会った人たちを思い起こしながら興味が尽きない。
7月18日にミサを捧げたパイワンの人々は、七部族中もっとも「剽悍(ひょうかん)」な部族の一つとあった。辞書を引くと「素早いうえに、荒々しく強いこと」(デジタル大辞泉)とあった。数時間会っただけでは良く分からないが、手作りの昼食をふるまった皆さんが改めて親しく思い起こされた。25年もいるという主任司祭にパイワンの皆さんについてもっと聞いてみればよかったと思うが後の祭り。
18日の主日のミサはアミ族の皆さんと一緒だった。あの豊年祭に招かれたところだが、本書によるとアミ族社会は「幼年組、青年組、老年組に区別」され、それぞれに「頭目」がいるとあって、あの人のよさそうな信者の頭目の顔が浮かんだ。あの踊りの輪も年齢別に分けられていた。竹筒に入れた酒のサービスも当時から。75年前に本書を著された著者の正確な知識に驚いた。
標高2300mの阿里山には阿里山天主堂(カトリック)もある。本書によると、オランダは台南に政庁を置いて宣教に力を入れた。その結果、1628年の受洗者が約2000人、教会での結婚式は500組だったという。先月案内された曽司教様も「カトリックよりプロテスタントの方が早かった」といわれたのはこのことを指していると思われる。司教様の教区は戦後のことなのでそう話されたと思うが、実際には、台湾は16世紀にポルトガルの教会の一部として、正式にローマに編入されたという(ウィキペディア)から、カトリックの方が一足早かったことになる。
阿里山の話に戻るが、本書によると、台湾には3000m級の山が48、2000m級が102もあるという。最高峰は、日本名新高山、台湾名玉山で3,869m。富士山よりも高いわけで、そこからの眺望はもちろん日の出は素晴らしいらしい。当時年間5000人の観光客が来たという。行ってみたいものだと心が動く。しかし、1930年の霧社事件という反日暴動の舞台ともなった所だと聞けば「やっぱりそうだったのか」と統治される側の人々の悲哀が聞こえてくるようで心が痛む。一方、犠牲になった日本人たちに対する著者の悲痛な思いを聞くとため息が出るのだが。
それでも、何故か台湾をもっと知りたいと思う。
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