突然だが、「信仰と生活の遊離」が問題となって久しい。

その体質は今も変わらない、みたいな記事を読んで書いたこと

日本の教会の問題は、教会がいいお話を聞くところで終わっているのではないか、みたいな指摘はそうかもしれないと思う。つまり、教会から出たあとの生活に繋がっていないのではないかという。つまり、キリストが見えないという問題。

*「みたいな記事、みたいな指摘」言い訳:単に個人的感想という意味。

いろいろな鋭い指摘にはさすがだなあ、と思う。同時に、小さな教会にいる者としては「都会の教会は大変そう」とも思う。そして、2年前の夏の悪夢が蘇った。

司祭館玄関横のアセビが開花

司祭館玄関横のアセビが開花

夜中にトイレに立った。隣の畳の部屋に人の気配がするではないか。暗がりに目をこらしてみるとナント人が寝ている!性別は判別しかねたが髪が長かったところを見ると女性?数日後のミサ後、典礼係の信者が教えてくれた。

「先ほど2階から女性が下りてきましたヨ。」司祭館2階に通じる聖堂の2階のこと。小柄な小母さんだったという。「アレはやっぱり女性だった!」司祭館側のドアが壊れていることも分った。聖堂2階の部屋を宿舎にしていたらしいと分った。

ある日、あっさり開いた部屋を覗くと広い畳み。「シメシメ」というわけで、あの日の発見となった事も読めた。それ以来、聖堂の入口は夜間は厳重閉鎖。ところが、数日後、同一人物とおぼしき女性から電話。お金の無心だったがお断り。

無銭宿泊を咎めたい気持ちが勝ったのだが、何しろ決め手がないではないか。野戦病院の職員になれなかったのは失格かもしれないが「ま、色々あるんです。」記事を書いた人達が何というだろう。それより身内の反応がかしましそう。

 

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