”ガリラヤのイエシュー”によるオンライン福音書紹介

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ガリラヤのイエシューについては紹介済みだが

どうしても紹介の続きをしたくなった。「お寺の掲示板の法句は分りやすい」と思うし、そんな声を最近も耳にした。聖書の言葉は素晴らしいが、読んでスッと入らない場合が多い。「やっぱり翻訳の宗教」と自嘲的になることは多い。

福音書が「よきおとずれ」の書であるならば読んでスッと入るような翻訳が欲しいという課題を持っておられたらしい。おこがましいが、「ボクも同じです!」と言いたくなるではないか。たとえば、ということで具体例で紹介したい。

ほんの一例

ほんの一例

前回はヨハネ17章を勧めたが今日は15章8節から。「あなたがたが、豊かに実を結び、私の弟子となるならそれによって私の父は栄光をお受けになる。」実を結ぶ、弟子となる、栄光をお受けになる。長々と説明したくならないか。

「そなたらに枝もたわわに実がなっていかにも俺の弟子だとならば、人はみな父(とと)さまを有り難く思うはず。それこそは父(とと)さまをお喜ばせすることになる。」少しくどい感じもするが意訳なのだから仕方ないがとくに後半は分る!

ほんの2例目

ほんの2例目

スッと分る例をもう一つ。「私が父の掟を守り、その愛に留まっているように、あなた方も私の掟を守るなら、私の愛に留まっていることになる。」(10節)

「この俺が父(とと)さまの言いつけをよく守り、俺を大事にして下さる父(とと)さまのお心に繋がっているのとおんなじに、お前たちが俺の言いつけをよく守るならお前たちを大事に思う俺の心に繋がっている。」説明は要らない。

鹿児島からどっと注文が来たら生成もきっと喜ばれる。これ蛇足。

 

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