宗教はアヘン、と言ったのはマルクス。マイバッグを持とう、もアヘン

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マイバッグを持とう、がアヘン?!

まだ半分ほどしか読んでいないが、著者の過激な発言に、さもありなん!「人新世の資本論」(斉藤幸平著)からの感想だが。マイバッグを持とう運動を揶揄したような言葉だが、共感したのは確かだ。

なぜか。台所の資源ゴミ袋がすぐに一杯になるのを見ると、レジ袋よりも何でもかんでもプラスチック容器に詰めることが問題なのではないかと思うからだ。プラスチックの容器なしに店頭に出すことはできない。そこが問題ではないのか。

そういう問題を後回しにして簡単にできるマイバッグで問題は解決しないのは素人でも分かる。だが、マイバックを持つことで、「私は環境に配慮している」という安心感を与えているとすれば、確かに「アヘン」と言えなくもない。

目元が可愛いジョウビタキの♀。みんなに指される教皇と信者たちの象徴?

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教区主催の聖書通読は推奨されてしかるべき運動だ。指宿教会でもボクを含めて9名が挑戦中だ。そんなとき、最新号の教区報に早くも完走者名が発表されて焦った。上位に入ってご褒美をもらうぞ、と密かに頑張っていたからだ。

折も折、教皇の講話集8の贈呈を受けた。教皇の何時もの分りやすい語り口に共感しながら読み進めてふと思った。各教区から贈呈される教区報には沢山の勉強会や活動の案内はあるが、教皇の講話集を読む会という案内は見た記憶がない。

信者の心を育てるためにあの講話集は一番いいテキストかと思う。またまた不遜な思いがよぎった。聖書通読はアヘンみたいなものでは?読んだという安心感と信者の心を育てるのとは違う。また、勉強会に行けばいいというものでもない。

信仰を素朴に生きている人の話に耳を傾けて共感することは、どんな勉強にも勝ると思うからだ。勉強はあくまで頭の訓練というイメージがぬぐえない。教皇の話に一杯共感して安心感を持って信者らしく生活できればアヘンではない。

言い忘れたが、「教皇の講話集を読む会」を立ち上げることを勧めているのではない。あくまで密かに読んで欲しいと思っている。ともあれ、早く完走しなくちゃ!

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