”愛するアマゾン”を再読して
57頁69番に次のようにある。「・・・宣教師者にとっての危険は、福音を伝えるだけでなく、自分を育てた文化をも伝えねばならないと思い込むことです。」南米然り、フィリピン然り。当時は仕方なかったとしても・・・。あ、いや、宣教論を述べようというのではない。
自分たちが持っているものはいいものだからみんな教えてあげる。そんな上から目線をアマゾンの人達が感じるようではダメといいたいことがよく分かった。ここから脈絡なしの思い出になる。村の教会にはアメリカ人宣教師が3人ほど住んでいたように記憶している。
教会の庭先に立つ大きな松の木の下で遊んでいた時のことだ。司祭館の2階の窓が開いたと思ったら飴か何かがばらまかれた。間髪を入れず歓声を上げながら駆け出す上級生の姉さん達の姿に圧倒されてボクはその場に立ち尽くした。
白ッぽい紙にくるまれた拾いものを喜々として見せ合っている姿を思い起こすにつけ、手にできなかった悔しさと元気な姉さん達が無邪気に喜ぶ姿が蘇る。しかし、あの光景は70年経った今も鮮明に蘇るのだ。「まるで犬にエサでも投げ与えるようだった。」
アマゾンの貧しさは70年前の奄美よりもひどかったのかもしれない。宣教師達がもっと人間らしい生活を!と頑張ったのは分かるような気がする。それにしても、森林破壊はひどいものがあるらしい。教皇フランシスコも憂えておられる。
コメント