エフェソは内陸ではなかった
今頃?と言われそうだが、27年前のあの時ということ。世界地図で見れば目と鼻の先だが、当時は数日を要したに違いない。それにしても、当時の地中海世界はローマ帝国の文化一色。どこ行っても我が家の庭先。
パウロとしては、そんなローマの圧倒的な支配力に気後れしながらも、エフェソに向かう船に揺られながら、それにも勝る神の国の広大無辺の広がりを夢見ていたに違いない。これが二回目の旅。紀元58年のこと。
エフェソに魅せられたパウロ
アテネやコリントの人々と違ってエフェソのユダヤ人たちは、会堂にやってきた見知らぬパウロに大変興味をもって熱心に質問したらしい。「お願いです。もうしばらく滞在されてお話を聞かせてください」みたいなことを言って引き留めたらしい。だが「神のみ心ならね…」とまるでヒーロー風情でさっさと行ってしまった(使徒行伝18.20‐21)。
行先はエルサレムというから身軽。行く先々で信者たちを励ましたという。そして、翌年またエフェソに戻った。今度は二年あまり住むことになった(同上19.8-10)。当時のエフェソはトルコの西の端に位置する港町。ローマ帝国のアジア支配の中心地で25万の人口を誇ったという。
何でもありのエフェソ
パウロは、「コリントもすごかったが、ここは一味違う」と感じたようで、一か所での滞在はせいぜい1,2か月という旅のスタイルを返上して上記のようにしばらく居座ることにした。
エフェソは、単に経済的発展を遂げていただけでなく、学問の中心地としても繫栄したらしい。町の中央に建つ2階建ての外観だけを残す建物は図書館だったという。
マリア様もエフェソに住まわれた
福音史家ヨハネがエフェソにいたという話は興味深い。ヨハネと言えば、十字架のもとでイエス様から「あなたの母です」(ヨハネ19.27)と言われて「自分の家に引き取った」(同上)というから、マリア様もエフェソに行かれたことになる。ご丁寧に、世界で一番最初にマリア様に捧げられた教会跡、というところもあるが、本当のところは分からない。
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