「私は発達障害です」と自己紹介する人に出会ったことがある

彼は立派なカメラで沢山写真を撮ってくれた

彼のことを書きたいのではない。実は、今朝のデジタル朝日の記事「大学で発達障害と気づいた 日本での生きづらさ痛感した筑波大生」にも感心したが、彼について書くのでもない。その関連記事が目を引いたのだ。量販店ニトリの創業者が発達障害だと分かったのは3年前だっという。それでも大学を出てアメリカでも勉強した。

しかし、彼について書きたいのでもない。実は、聞けばどの幼稚園にもいわゆうる問題行動を起こす子がいる。30年前の初任地では4クラスの中で一クラスに一人だけそんな子がいた。しかし、このところ珍しい話ではなくなった。インクルシブ教育という言葉を普通に聞くようになったほどに、一種の社会現象の感さえある。

結構難しいオシゴトです

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先ほどの筑波大生が体験した「生きづらさ」が問題。インクルシブはエクスクルシブ(排除)の反対の言葉なのでどの子も排除しないという意味。しかし、日本には本当の意味で実現できていない。だから支援センターが指宿にもある。うちの幼稚園よりも大きく立派な建物で送迎バスも何台もある。

それに小学校に上がるときには支援が必要かどうかでクラス分けする。手厚い指導が必要だからというのが理由。しかし、あの大学生は「障害のある子も、グレーゾーンの子も、自分のできないことを壁に感じないような教育環境を整えて欲しいと思う。そのためにどうすればいいか――。いま博士課程で研究している。」期待したい。

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