村長さんが今度は楽器演奏
村長さんが一弦の楽器を弾いてくださった。ちょうどチェロを弾くように立てかけて演奏する。キーキーという音色はここの人たちのように遠慮がちでもの悲しい。ベンゲットダンスのあの明るさとはずいぶん違う。しかし、どちらも山の人達のものには違いない。
久しぶりに村中のみんなが集う時の賑わいだ雰囲気も他に娯楽を持たない人達のものだし、普段の日、手慰みに弾く一弦琴もまた彼等のものなんだ。当たり前のことだが、何故かそんなことを実感した。質素だがどれもが生気に満ちているのだ。
珍しがって手にしたそれは、大ぶりの孟宗竹に小さな穴を開けて木綿糸を張っただけの簡単なもので驚いた。申し訳ないが、とても楽器と呼べるようなものではなく、小学生の夏休みの作品といったところだった。それでもみんなの心を和ませる大切な楽器だ。
簡単といえば、山の人達の家の簡単なこと。いや、簡単という言い方は正しくない。家の中に何にもないという意味では簡素な生活ぶりと言った方がいいかもしれない。新郎新婦の住まいはトタン葺きでトタン張りという立派なものだが調度品と
名のつくものが一切ないのだ。木製のベッド以外は。ただ、ハンガーにツルされた衣類が数着竿にかけられているだけで、タンスはもちろん押し入れもない。空間が仕切られているだけでホントに何にもないことにあっけにとられてしまった。
電化製品と名のつくものはサンヨーのラジカセ以外はなにもなく、文字通りのないないづくし。まさにシンプルライフとはこのことかと感じ入ってしまった。それにしても、これほど何にもない家をかつて見たことがない。階下に煮炊きするものや食器類はあるとしてもわずか。まさに必需品だけ。
思わず自分の生活を思わざるを得なかった。自分の部屋にあるものはどれも必要なものばかりだと思っている私にとって、本当に必要なものは一体どれ?神学校に入学したての頃の講話を思い出した。「買い物をする時は、必要かどうか考えなさい。欲しいだけならしばらく待った方がいい。」
「そろそろ出発しようか。」2時半頃、神父さんに促されて、私たち一行は披露宴の席を中座することにした。「また来て下さい、神父様。」はにかむような小さな声で花嫁さんがお別れの挨拶をした。初めて聞く花嫁さんの声だった。
隔絶された山岳地帯の寒村でひっそりと新生活を始める新婦の孤独さみたいなものが感じられて心に残った。それにしても、日本のように華やかさなどみじんも感じられない新婚生活。型どおりだが幸多かれと祈るばかりだ。
村はずれの分かれ道で、パリ-ナに帰る神父さん、他の村々を巡回するというカテキスタ、隣村に帰る家族が南北東西に別れた。久しぶりに神父様や信者達と再会できたことを喜び合い、道中の安全を祈り合う。
黙って眺めていた二人の中学生が母親に促されて近寄ってきた。「ホラあんた達もご挨拶しなさい」みたいなことを言われたのだと思う。「神父様気をつけて。また来て下さい」と言ったかと思うと大急ぎで戻っていった。
山の子どもたちは恥ずかしがり屋。両親はニコニコしながら二人を迎え、こうして別れの挨拶と共に手を振りながらそれぞれが帰途についた。ほのぼのとしたいい光景だった。
私はシスターと二人の高校生達と共にその日の投宿先のアンプソガンを目指した。来たときとは反対側から見るバクンの眺めはすばらしく、フイルムが尽きたことが悔やまれる。パリーナが標高1500mほどだから、おそらくここらあたりは1600mほどかと。
高地にもかかわらず平坦な道が延々と続くので歩きやすい。目的地までは4時間の道のりらしい。このぶんだと暗くなる前に着きそうだとシスターが言ったので少し安心した。こんな山奥で日が暮れたら大変だ。つづく
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