戸塚文卿(ぶんけい)だけでは何のことか分からないに違いない

使徒として駆け抜けた短い人生

先月だったか、いとこのシスターから”戸塚神父伝”が届いた。読んでみて神父様の経歴と人柄にひかれた。何よりも二つの大きな出来事は興味深い。一つは、カトリック学校の優等生でも信仰には全く興味を示さなかった彼が突然信仰に目覚めたこと。周りも瞠目したほどだった。

二つ目になるが、召命体験はもっとドラマチックだ。本人にとっても予期しないことだったという。父親は、将来を嘱望された息子がとんでもないことをしたと猛反対。それでも揺らぐことはなかった。むしろ、夢は開くばかりだった。

突然我がことで恐縮だが

「男子が一夜の夢でことを決してはいけない。」父親からそんな手紙を受け取った時のことが思い起こされた。ちょうど予備校の二学期も始まった今頃だったと思う。「ボクは神学校に行きたい」と手紙を書いたのは。その返事が冒頭の手紙。帰省して直接話すことにした。

家族のみんなが戸惑い、「お前も医者に」と熱望して経済的に全面支援を惜しまなかった独り者の眼科医の伯父は「お前には裏切られた」と顔を曇らせた。当然、友人たちも驚き、翻意を促した。

はじめて選んだボクの人生!

しかし、周りのみんなが戸惑い、反対すればするほど、ボクの気持ちは充実感に満ちていた。「自分の人生を誰に相談することもなく一人で選んだ!」皆がお通夜のように打ち沈んでいる中で父親がきっぱり言った。「分かった。イエス様も言われた。鋤に手をかけて後ろを振り向くのはふさわしくない。前進しなさい。」

戸塚神父様に戻ろう

ステージも役者も大きく違うというのに、つい、横道にそれてしまったが話を戻そう。

ともあれ、人間的に見て最も衝撃的なのは、48才という若さで御父のもとに召されたことだ。しかも、15年という短か過ぎる司祭生活。恵まれた沢山のタレントで獅子奮迅の働きが期待されたのに。神の計らいの不思議さだ。もっとも、今日の桜町病院と運営母体の福音史家聖ヨハネ布教修道会の基礎を築かれたことで十分かもしれないが。

及ばずながらボクも会の当事者に

神父様の本は30年ほど前、父にも贈呈されたらしい。お礼の手紙のコピーが同封されていた。父も若いころ在京時代、神父様に直接お会したらしい。昭和8年(1933年)には神父様の聖ヨハネ医院で診察を受けたとも。神父様が身近に感じられたのは言うまでもないが、遅すぎた。

そんなこともあって、それでは、というので”聖ヨハネ兄弟姉妹会”のメンバーになった。月一回ミサも捧げてもらえるとという。こちらでは会員の祈りを毎日唱えている。

台風襲来というのに今日もたくさん咲いた。まさか台風を歓迎しているのでもあるまいに。

台風襲来というのに今日もたくさん咲いた。まさか台風を歓迎しているのでもあるまいに。

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