8月3日の恩師の納骨ミサで再会した同期の司祭は、国宝大浦天主堂があって観光客でにぎわう大浦教会の主任司祭。派遣先の小教区の歴史編纂で有名。ミサを終えて、駅に向かうバスの中でそのことが話題になり、聞くところによると、昨年7月発行の「福江教会の牧者たち」(全3巻)をもって編纂活動に終止符を打ったという。「島田喜蔵神父の記事を送る」ことを約束して別れた。
昨日、神学生の集いから帰ると分厚いゆうパックが届いていた。2013年に発行された「浜脇教会の牧者たち」(全4巻)で、第1巻に紹介されているのが「第五章五代目主任・島田喜蔵師」だった。早速紐解いた。ザビエル教会には神父様のことを知っている人が多いと思うが、本文から少し紹介したい。
神父様はいわゆるカトリック村江袋(上五島)出身。神学校入学11才の時。司祭叙階は20年後の31歳。1887年(明治20年)3月17日。五島最初の司祭。そして、大分での3年間の宣教活動の後、当時、教会のなかった鹿児島に赴任。ザビエル教会の創設者。
島田神父様で思い起こされるのは、臼井熊八という大工の棟梁。彼は有能な大工で鍛冶屋もできる人だったという。名瀬浦上の出身で鹿児島の人と結婚し長いこと鹿児島に住んでいて熱心な信者。大島支庁舎建設に派遣された臼井さんに神父様が頼まれた。「あなたが大島に行ったら、県の役人にも学校の先生たちにも島人にも親切に教理を説いてあげなさい」(隠れキリシタンから司祭にーとます島田喜蔵神父の生涯ー中田秀和著 中央出版 127頁)。
本書には、宣教活動にまつわる興味深いエピソードが多い。一つだけ紹介しよう。神父様を追放しようとたくらんて先に宣教していたプロテスタントの信者たちが、毎日のように押しかけては議論を挑んだ。決して感情的にならない神父様の親切で丁寧な受け答えに、次第に惹かれて、ついにカトリックになったという。
機知に富み、人情の機微に触れることのできる豊かな感性の持ち主だったようで、島田喜蔵神父様の実像に少し近づくことができた。
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