祝賀会後の後のマツリ
立正佼成会、聞いたことのある人は多いと思うが、鹿児島教会が始まって60年になったという昨日、お祝いの会にお招きを受けた。諸宗教懇和会立ち上げに奔走し、事務局を引き受け、今もこの教会なしに現在の懇和会はない。それに、開祖さまと聖ヨハネパウロ二世のツーショットの写真が飾られていたりカトリックびいき。そうしたつながりもあって遅刻しながらも会食に顔を出すことにした。その帰り道、ふと思いついたのが再訪案。土曜日は、ナビに従ったら山道に連れていかれたが、今回は鹿児島からだと通り道だしスッと行けると踏んだ。ところが、どっこい、思いどうりにいかなかっただけでなく、前回と全く同じ山道コース。「スマホのナビは正確」と高評価だったが、今回は言いたいことがる。それというのも、左折のタイミングを外したトタン別のコースが表示された。問題はそこ。「行きすぎました。引き返してください」となぜ一言教えてくれなかったのか。結局、前回と同じコースに回されたと気がが付いたときは後の祭り。いずれにしろ進化の余地ありだ。
ついに再開
信徒訪問で「ついに」などという言葉はめったに使わない。実は、この家族には長い歴史がある。旦那が結婚する前からのトモダチ。もう一人のトモダチと三人だけの聖書の勉強会をしたり、坊津に一泊二日の写生旅行に出かけたりと若い頃の思い出は多い。それだけに、鹿児島からも離れ、しかも教会のない地域に家を建てと聞いたのが20数年前。それ以来、まったく会うこともなかった。思いがけず指宿教会で働くようになってぜひ訪ねてみたいと思っていたワケ。で、「ついに」。土曜日の遅い午後とあって案の定いるわいるわ。子供ころの面影の残る女の子たちは立派なお母さんに。一人は佐賀に、一人は甑島とバラバラでも、末っ子の運動会と聞いて全員駆けつけたとのこと。子供が多かっただけに絆も深い。旦那とは、甑島組を川内港まで送っていったとのことでまたしても会えなかったが、こうして訪問ミッションを繰り返すことで、これまで、温泉だけが主な目的だった指宿が、次第に主のブドウ畑に思えてきたから不思議だ。花開き実を結ぶといいが。
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