案の定というか、教皇離日後はメディアがコトリともしなくなったが・・・

情けない!

ボクもついていきたい!

ボクもついていきたい!

案の定というか、教皇離日後はメディアがコトリともしなくなった。”教皇と出会った日本”とか”教皇の核廃絶論への反応は?”とかその後の記事が一切ない。コレが日本の現実ということになる。首相も、外交儀礼をこなしただけ。唯一の被爆国として、ここはアメリカにも正直に話して、「私たちはやはり署名したいので、ご理解下さい」ぐらいのひと言が何故言えないのか。「私たちは仲介役としての使命を」などとお茶を濁すのは卑怯。第一、被爆者たちを裏切ることにならないか。それに、核廃絶運動に励む高校生たちに、「君たちもそこまでしなくていいよ。仲介役が大事だから」と教えているようなものだ。情けない!

拉致ではないか!

ホントについて行っていいの?

ホントについて行っていいの?

あ、今日は久しぶりに平和の話をしようと思ったのにまたボヤキで始まった。実は、今日はイエスさまの12弟子の一人、使徒聖アンデレの祝日で、ミサで読まれた聖書は、ガリラヤ湖畔での弟子たち募集の箇所。募集と言うより、仕事中の人に「私についてきなさい」と命令した(マライ4.18-22)のだからかなり強引。有無を言わさず引っ張っていった感じすらする。拉致ではないか!思わず叫びたくなるが、更に驚くことは、仕事の手を休めたと思ったら、いぶかる気配もなく、ホイきたと「二人は網を捨ててすぐに従った」ことだ。「一体何が起こったんだ」と2000年後も引きずるではないか。

このお方だ!

弟子が増えた!

弟子が増えた!

実は、そういう自分も50数年前、このペトロたちにあこがれて「ホイきた」とついてきたのだった。さすがに「早まったのではないのか」と慌てたことはあったものの、今に至っている。そして、聖書の知識も少し増して考えるに、「アレは、拉致だった」のではなく、まさにヒヨコが生まれるときの「啐啄(そったく)同時」、時宜を得たことだった。つまり、当時のユダヤには、「ローマの圧政から解放してくれる王が現れる」といういわゆるメシア待望論が国中を席巻していたのだ。近くのヨルダン川のほとりで説教し洗礼を授けていた洗者聖ヨハネの影響もあったと思われるのだが、「実は夕べ家族でそんな話をしたばかりだった。だから、あの方を見たとたん、『あ、この人だ』と直感的に思ったんだ」みたいなことだったかもしれないのだ。

もうすぐクリスマス!

オーイ、クリスマスが近いぞー!

オーイ、クリスマスが近いぞー!

実際、その次に声をかけられたヤコブとヨハネも同じことだった。しかも、二人は「栄光をお受けになるとき、私どもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせて下さい」と直訴までした。それは、明らかに、出世が保証されたとの確信から来る願いだったのだ。一方、いつも気になることだが、働き盛りの稼ぎ手を二人も失った両親たちは途方に暮れたかというとそうではない。故郷に錦を飾って帰る息子たちの晴れ姿を思い描きながら貧しくても頑張っていたのだ。もちろん勝手な想像だが。いずれにしろ、全てはユメでしかなかったのだが、弟子たちは、喜んで先生のために「我が救い主!」と確信のうちに殉教した。真の平和が何かが分かったからだ。教皇のメッセージの根幹がここにある。教皇訪日の余韻の中で。明日から待降節。主の日は近い。

 

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