誰もが傷ついている

1万人を収容できる巨大会議場を備えたコンベンションセンター。3日目の最後の基調講演は我らが期待のアジアカトリック教会のホープ・マニラのタグレ枢機卿。分かりやすい英語と霊性を感じる内容のある話。そんな印象を持ったのは5、6年前のフィリピンでのアジアンユースデーでの講演。「イエスと出会ったあなた方は、エンマウスの弟子たちが、急いでエルサレムに引き返して、復活の主に出会ったことを知らせたように、家族に友達に皆さんが出会った主を告げ知らせる使命があるのです。」

当時を思い起こさせるような深い祈りを感じさせる力強い語りは1万ほどの聴衆の心を鷲掴みにした。度重なる万雷の拍手にしばしば話を中断され、「時間がないから、時間がないから…」と腕時計を叩きながら静止するほどだった。そういえば、ここの人々は感動したり、同意したりすると拍手で答える。話はその度に中断を余儀なくされるほど。的確な言い方ではないかも知れないが、人を泣かせるのも笑わせるのも思いのまま。

そんな枢機卿のテーマは「傷ついた人の安らぎの場としての家庭」。前置きみたいな話の中で“どんな立派な家に住んでいても愛がなければホームではない”。すかさず大きな拍手。聖書のエピソードをを次々と紹介しながら、問題点を指摘。生活の匂いのする分かりやすい話し方は確かに魅力的で共感できる。

ルカが紹介している3つのたとえ話。見失った羊。なぜ探しに行くのか。もちろん傷ついて一人では帰れないからだ。教会が扉を広く開けておくとしても、屋根を開けておく(マルコ2,4)事態に備えることも必要。1人では教会に来ることのできない人を案内できたら教ナイジェリアの神父さんはレデンプトール会。会はホームになる。たとえ敵であっても!(ルカ6,27)。

放蕩息子の話も感動的だった。兄の「あなたのあの息子」にたいして、父親は「お前のあの弟」と言う。家庭(ホーム)だから。もう何を言いたいのかが分かっている聴衆はまたも万雷の拍手。最後の感動的な話は実話。次回をお楽しみに。

昼休み時間にMEのブース訪問。ナイジェリアのME司祭に会って、ナイジェリアではMEが始まったばかりなのに大盛会で11月には2回で100組もの参加者と聞いて驚いた。

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