信者たちに「ご自由にどうぞ」と言った自分が
37年前の原稿を発見したから驚いた。もっと正確に言うと、実は、当時つまり、1984年マニラでの研修を終えて帰国して赴任したのがザビエル教会。主任司祭は竹山神父さん。
暇を見ては、当時普及したばかりのラップトップワープロでマニラでの体験を記した。そして、竹山神父さんに見てもらった。当時、司祭評議会の依頼を受けて「カトリックの信仰」を執筆中で多忙な身にもかかわらず丁寧な添削が帰ってきた。
しかし、教区報に発表することもなく、しかも書き直した記憶もないまま37年が過ぎたことになる。神父さんには申し訳ないことをしたと悔やまれたが、読み返すにつれ、記憶の彼方から当時の様子が次々と蘇って追憶に浸ることになった。
そして、せめてブログにだけでも発表しておきたいと思ったワケ。ただ、当時の写真が一枚もないのが残念だが。で早速、37年も前の原稿とやらを紹介したい。
序 1983年9月から翌年3月31日までの7ヶ月間、私は東アジア司牧研究所でアジア各地から派遣された信徒、司祭、修道者70余名と共に学んでいた。クリスマス前の現地学習プログラムで私はバギオ以北の山岳地帯にある教会を志願した。そのときのことを記してみたい。
バクン派遣
1983年12月15日
山岳、といい、部族といい、それらは私にとって全く未知との遭遇だった。眼科医だった伯父は、かつて台湾に渡り、高砂という部族の中に住み、近眼の調査をしたときのことを独特の話術で楽しく語ってくれたものだった。
そういうわけで、小学校のその頃から、部族という言葉にはなじんでいたものの部族といえば、裸で、褐色の肌で、目つき鋭く、未開人というイメージしか持っていなかった。
そういう人々をこの目で見ることが出来る。それに、フィリピンで登山が出来るというのも魅力だ、などと、本来の目的そっちのけの念願が叶い、3人の仲間とともに北ルソン山岳地帯での5日間にわたる体験学習に派遣されることになった。続く。
コメント