奄美の夏の風物詩八月踊りに教会も”5千両”で参加

豊年祈願祭?

八月踊りの由来は知らないが、子どもの頃は各家を回って踊りあかしていたように思う。踊り連が来る家では、子どもであろうが来た人にはご馳走が振る舞われた。気前良くふるまうというのが、豊年を象徴していたのかもしれない。なぜか、ご馳走を口にした記憶はない。

様変わりした八月踊り

あれから、70年余りたった今も八月踊りは健在だが、各家を回ることはない。大熊も同様のようで、昨夜は、教会のすぐ近くの十字路が文字通りの”踊り場”になった。故郷の村では男女が大きな輪を作って違う踊りを披露する。歌詞も違うが、動きも緩急あって、それに応じて手や足の動きも違う。整然としていたように思う。

しかし、ここ大熊では、かなり様子が違っていた。踊り連は子どもから大人まで混在していて、同じ歌が繰り返されているようだった。しばらくすると、

ハナのご披露

”トーザイトーザイー! ハナのご披露を申し上げまーす”すると一斉に合いの手が入る。”ソイジャ、ソイジャ!”みたいな。”皆様の踊りがあまりにも素晴らしいので…”合の手”○○様より金5千両…”またも合いの手の合唱。そして、”大熊カトリック教会様5千両”合いの手の合唱。

これが何回か繰り返されて次の”踊り場”に向かった。最後はロクチョウで引っ張り出されるのではと思ったものだからそっと暗がりに消えたが、それはなかったようだった。

ハナはおそらく”おひねり”に相当するもので、心づくしの意味?ともあれ、芸術性?は故郷の村が勝っていると感じたが、自由奔放さは大熊が断然勝っていた。

聖書の庭を彩り始めたキバナタマスダレ

聖書の庭を彩り始めたキバナタマスダレ

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