爽やかに潔く

赤羽教会

「ガンの末期で手術も出来ません。余命3ヶ月。」「えーっ!」しかし、そこでジタバタしなかったのが神父様らしい。

現実としっかり向き合い、毎日のようにフェイスブックに発信し続け、入院手続きも一人で済まし、故郷には別れの挨拶にも。普通なら、泣きの涙で一族 郎党悲しみに打ちひしがれるところだ。「もうすぐ天国に行って楽になるのだから喜んでよ。永遠の命に入るのだから嬉しいじゃない。」あまりの明るさに言葉 をかけることすらできかねたという。

「普段は無口で、帰ってきても部屋にこもってばかりいたのに、あんなに明るいのは初めてでした。」しかも、「集中治療室で重篤の父の葬儀用カードま で準備した」とさすがの姉上も驚いておられた。一人っ子で将来を嘱望された優秀な裁判官。エリートの道をまっしぐら。かと思いきや、「これでは本当に弱い 人々を救えない。だから神父さんになってそういう人々を救いたい。」母親がショックで寝込むほどのまさに晴天の霹靂。

そうと決めたら早い。周囲の失望落胆を背に受けながらアッシジの聖フランシスコを師とするコンベンツアル聖フランシスコ修道会に入会。43才で司祭 叙階。そして、13年の司祭生活にあっさりピリオドを打った。そんな神父様の爽やか過ぎる天国への旅立ちは、参会者だけでなくフランシスコの兄弟たちにも 大きなインパクトを与えたに違いない。少なくともボクにとっては大きかった。

「どうしてあんなにも爽やかに旅立てたのか。」思い巡らしているうちに気づいたことがある。創立者聖フランシスコは豊かな呉服商の御曹司。すべてを 貧しい人々に施し無一物となった。そして、45才で亡くなった。聖師と自分を重ねてナットクしたのではないか。それに十字架上のイエス様のこと。エリート コースを自ら絶った時に、すでにこうしたフランシスカンの霊性の高みに達していたのかもしれない。こう気がついたとき、「ボクも爽やかに逝きたい」と心底 思った。

「お先に行って待っています!」無二の親友の最期の言葉に父も奮い立ち、「わしもあんな風に逝きたい。」何度も聞かされたエピソードが蘇った。いつの間にか、父の心境になっている自分に少し驚いた。天国ではペトロ主催の歓迎会が賑やかに行われているに違いない。

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