クリスマスに寄せて
昨日配信のUcanewsから。メリノール会宣教師のボブ・マッカヒル神父さんのバングラ通信は折々に遭遇するエピソードが満載。先月訪問したばかりの国なのでついのめりこんだ。
いくつか紹介しよう。あるときお隣さんが連れてきた女の子は誰もが抱っこしてみたくなる笑顔のきれいな子だが、その日に限って、神父さんの顔を見るなり、笑顔どころかクルッと後ろ向き。いつもと違うなと思っていると抱っこの女性が「神父さんの眼鏡が怖いんですよ」と教えてくれた。あ、そうだったと読書用メガネをはずしついでに帽子もとった。すると、いつもの笑顔が返ってきた。教訓その1:人生最善のこととは余計なものがないこと。
お茶屋の前に座っているのは朝の物乞いから帰ったばかりの目の不自由な中年の婦人。その日の稼ぎは16タカ(約20円?)。どうにか、彼女は一杯のお茶にありつき、こうして毎日をしのいでいる。つまり、イスラムの五つの柱のうちの一つである“施し”が彼女の命の保証。ちなみに、後の四つは信仰宣言、礼拝、断食、そしてメッカ巡礼。
そういえば、多くの巡礼者でごった返すバチカンのあちこちで何人もの物乞いにあった。コインを上げたが、身なりは普通だった。しかし、こちらはもっと胸が痛むが、イスラムの教えで救われていると聞くとなんだかほっとする。すると、ダッカの道端で座っていたあの人たちも見捨てられてはいないことになるのか。そうだといいのだが。そうそうバチカンで思い出した。謁見のビデオ鑑賞はこちら。当日の教皇メッセージはここ。
自転車である村の訪問に出かけた時のこと。余りの激しい嵐に民家に緊急避難。幸い30分もしたら嵐は止み、出かけることに。ものの数分も行ったところで、一人の農夫が「嵐で電線が垂れ下がっているので気を付けるように」と合図を送った。おかげで、危うく難を逃れた。彼もホッとして喜んでくれたが、それは、「ワシがアンタを助けた」という顔ではなかった。これも一種の施し?
糖尿病を患っているイスラムの友人を訪問すると調子がよくないとこぼしたので、何か運動をしたらいいと勧めた。すると、やっているという。一日5回も立ったり、床に伏したり、膝をついて座ったり…。確かに体は動かしているが、お祈りの動作が糖尿に聞くとは思えないのだが…。
バングラデシュ滞在35年のベテラン宣教師からの話題は悲喜こもごも、興味は尽きない。クリスマスのクの字も出てこないが、なんだか「靴屋のマルチン」を思わせる。まだまだあるが今日はこれまで。*忠実な翻訳ではなく、脚色過多。ご容赦のほどを。
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