AB型的発想?
一つ上に移動お勉強会そのⅡ
台風10号の速度は時速十キロだと言う。ボクのランよりチョット早目か。明日の朝は晴れて欲しい。
おかげで、午後一杯、アジア宣教大会の資料にチャレンジ。「アジアにおけるイエスの物語」アジアの人々に、アジアの顔をしたイエスをどのように語るか。
“文化や他の宗教伝統に神が現存されることへの感受性を持つて、人々とともにあること、その必要性に応えること、そして、存在、連帯、分かち合いと言葉によって神の国の価値を証することなんだって。それは、アジアの貧しさと、地方の文化や他の宗教伝統との“継続した、謙虚で愛に満ちた対話”を持ってなされることになる。
資料はアジアの特徴として、
沈黙や観想、単純さ、調和、離脱心、非暴力、宗教的寛容さと共存共栄、仕事熱心、規律、質素な生活、学ぶことへの渇望、哲学的探求、命への尊敬、全てのものに対する哀れみの心、自然への親近感、両親、目上、先祖への孝愛、共同体への深い感性、
を取り上げている。そして、こうした価値の中に、アジアの人々が神の国の価値を先取りしているという視点は同意できる。つまり、こうした価値の中に神が現存しておられるという明確な認識こそアジアの教会の基本姿勢になるはずなんだが・・・。
で、どうすればいいかと問われても難しいが、とりあえず、共存共栄かな。これは相対主義といってローマが退けているらしいのだが・・・。
アジア宣教大会のロゴの使用は「どうぞ」と言うことだったので再度。
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教会のウェブ進化論
カトリック教会。カトリックとは普遍。世界あまねく、地の果てまでも行って福音を述べ伝えなさい。世界のどんな辺境の地にあっても出会う二種類の人。「日本の商社マンとカトリックの宣教師」と言われたほど、カトリックは世界あまねくいきわたっている。しかし、日本を見るまでもなく、「世界くまなく」は必ずしも「世界の全人口」を包含しているという意味ではない。
しかし、「世界くまなく」(カトリック)が文字通り、「世界の全人口」という意味だとすれば、現在理解している「カトリック=普遍」の意味を問い直さなければならない。端的に言えば、「世界の全地域」ではなく、「世界の全人口」に福音を説くための新たな手が打たれなければ成らない。身近な教会の現状は、「地域」からの脱出を図れないでいる。「全人口」を視野に入れた宣教体制が整備されているとは言いがたい。
そうは言っても多くの教会にホームページが開設されていることは事実。更新されていないものも多く、日曜日ごとの聖書の話が聞けないのが多いのも事実だが、それでも「全人口」を意識している点では評価できる。
この「全人口」を「不特定多数無限大」と位置づけて、ネット上での宣教活動を推進し、行くいくは「ネット教会」までも視野に入れてみようというのが、「教会のウェブ進化論」。そんな、楽しい構想に誘ってくれる名著がある。是非一読して欲しい。なお、この本と、内容の紹介は下記に詳しいので参照して欲しい。http://mr826.net/yz/Blog
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日本の教会の形
今回、カナダ、ドイツ、ローマの教会を巡ってつくづく思ったことは、あちらは人がたえず動き回っていて、いわゆる巡礼教会というところはどこも人で一杯。そしてこちらの教会は、巡礼地と呼ぶにふさわしい教会や場所が沢山あるにもかかわらず、
コソともしない。まったく静かで何にもないに等しい。
日本の精神風土のキーワードが”静けさ”であるとするなら、それはそれで日本の教会の形と言えるかもしれない。ボクには、アタマの信仰が支配的な教会という印象が強い。体で祈る、ローソクで祈る、歩いて祈る形をつくって行きたい。
日本の文化に新しい息吹を吹き込んだキリスト教。その日本における発祥の地鹿児島。ザビエルを巡ってはさまざまな取り組みがなされてはいる。そのことを評価するとしても、人を呼び込む工夫はまったくない。たまに来る訪問者が手に出来る気の効いたグッズもない。祈るためのローソクもない。巡礼地の整備が急がれる。
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「それでも」大募集!
壮年達との「本音で語る会」で「当局側が宣教の見本を示して欲しい」というのがあった。モットーは出来ても、それと宣教がどうつながるのか、という戸惑いなのか?
実のところ、叙階後一年が経った今も、「それでも」効果?は衰えを見せていない。それどころか、今年の年賀状や先月25日のボクの洗礼名「回心のパウロ」を祝う挨拶のカードにも「それでも、と気持ちを新たにしながら生きています」という言葉が多く寄せられていて嬉しかった。そして、密かに心に秘めていたことを発表?しようと考えていたのだった。
「宣教の見本」と言われても妙案があるわけではないが、「それでも」体験を募集して、配布用の小冊子にすればいいのではないか。自分の言葉で語られた生活の中での生の信仰体験集。まさに自分の信仰を自分の言葉で語る体験。立派な宣教冊子の出来上がり!
アジアの顔をしたイエスの物語を語る。ということは、各自の顔をしたイエスの物語を語る。ということは、各自の「それでも」体験を語る。ということになる!
教会学校の子供たちにも、「それでも」をテーマにした作文コンクールで参加して貰う。もちろん素敵な賞もある。
3月号の教区報で詳しい応募方法が載せられるハズ。如何かな?
*3月を待つ必要はない。今からでも受け付けます。
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信仰のコツ一挙公開?
昨日ミサ後に出会ったAnonymous Christianの男性は、ボクのもう一つの思いに火をつけた。「不安9割信頼1」と自分を責める彼の誠実な人柄は魅力的だった。しかし、どこか違う。
やっぱり「コツを外している」としか言いようがない。洗礼の恵みを受けていないのだから当たり前と言えば当たり前だが・・・。しかし、コツを外しているのは、何も彼ばかりではない。
飛躍するが、「宣教家族」というのを聞いたことがあるだろうか。家族で、招かれるところならどこでも出かけて自活しながら福音宣教をする家族のこと。このグループの属している共同体の特徴は、「御言葉・共同体・典礼」の三位一体。彼らにとって、学ぶことは集うことであり祝う(典礼)ことであり助け合うこと。ブレはない。
一方、フツウの信者は、聖書、その他の勉強をまじめにやっても共同体や典礼の活性化、そして具体的な相互扶助に、必ずしも繋がらない。赦しあい、違いを認め合うという神の国のアジを出し切れていないのではないかと思う。
しかも、司祭・修道者なのに、さらに司教なのに、我が侭だったり、自分の城を守ることでアタマが一杯だったり、不平不満が絶えなかったり、こだわりが強すぎたり、数え上げると切がない。要するにバラバラ。どうしてそうなの?人間だから当たり前?
認めるとしても、それではミもフタもない。コツを外しているだけなのでは?信仰の仕方というか、「あなたがたは世に属していない」(ヨハネ15,19)という現実を深めようとしていないからではないのか。
ボクをはじめ、司祭・修道者・司教につけるクスリはない?としても、信者には、
- 「信仰するにもコツがあります。信仰はあなたを全人的に改造します」
やってみようかな・・・。
午前中、友人の司祭から、「鹿児島で働いてもいい」という電話。ヤッタネ!
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イキイキ宣教クラブ
人は体が病気になっても神様を賛美できるが、多くの人に心配をかけるので理想的な信仰の姿とはいえない。出来れば健康のままで神様を賛美できたら一番いい。
一昨年になるかもしれない。「祈りと食と健康」と題して1泊2日のセミナーを仲間と開いたことがある。「信仰と健康は別物」という考えが一般的だと思うが、そうではないのだ。というのが私たちの主張、というか信仰の姿。
食べることと信仰が密接に繋がっていることに気づく道のりは遠い。一笑に付されるのがオチだ。しかし、健康というか、この体も神様からいただいたものであるなら、出来るだけ大切に使ってお返しするのが筋ではないか。つまり、頂き物だから恵みなわけで、恵みを粗末にするのはホトンド罪ではないのか。
神との対話を促す書物は多い。しかし、自分の体との対話を導く信心書は見たことがない。大きな片手落ち!もっとも、体のしくみを良く分からないので仕方ないのかもしれないが、その点、紹介した本は大いに助けになる。
考えてみると、神様の巧妙な手作りであるこの体が単に医学の対象になるだけというのはおかしい。自然界に対しては限りない親しみを抱き、神の息吹さえも感じ取るというのに!
あなたも「イキイキ宣教クラブ」に呼ばれている。
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三年後には!
現在使われている「ミサ典礼書」は当初5年間の試用のためのものだったらしい。試用の期間が何年延期されたのか知らないが、こうして会議に出てみて実感することがある。
何十年も試用のままで済ましてきたのは、当局の怠慢のせいに違いないと内心断じていたように思う。しかし、そうとばかりも言えないのではないかと思うようになった。
最大の問題は日本語の複雑さではなかったのか。欧米の言葉とは全く違う仕組みの言語で的確に訳すというのは至難の業。その点、ラテン系の同族の言葉は何も問題はないのかもしれない。
しかし、違う風土、違う食べ物、違う生活習慣などなど文化の違いは言葉の持つ微妙な妙味を浮き彫りにするのは難しい。例えば、昨日の「あなたの霊」という日常語は日本にはない。もし使ったら、「ワシを殺す気か!」と叱られるかもしれない。
しかし、バチカンは手厳しい。日本語の新しい典礼書は正確な訳ではない。しかも、インカルチュレーションとは無縁の動機に基づいていて認めがたい。
エッ!?バチカンは典礼のインカルチュレーションを推奨しているのか!ということは、日本特有の典礼を作ってもいいということ?そういえば、インドにはいくつかの違う典礼があるという。
ともあれ、三年後をめどに、必死の作業が続く。典礼委員のバチカン詣でもまだまだ終わらない。
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手続き音痴症候群
「修道会からの直接の文書が欲しい。」チャプレン派遣願いの手紙を書いた。地元修道院では喜んでくれた。しかし、依頼を受けた側は戸惑った。「当人から何もなくて話し合いは出来ない。」なるほど。
- どうして今頃聖櫃?マリア様?
ある日突然、十年ほども人目を忍んでお隠れだった聖櫃がドンと聖堂正面に。そのうち、今度はきわめて伝統的な装いの等身大のマリア様まで。地元信者には一言の断りもなく、次々と何かが始まる。当然、土足で上がり込まれた違和感を覚えるに違いない。これもなるほど。
- えっ?!もう決まっているんですね。順序が逆!
「宣教家族云々・・・」母体である「新求道の道」について縷々説明。否定的な反応と困惑の司祭たち。どうして、みんな怖がりなんだろう。これは、なるほどと言わなかった。
- なんと!?これは初耳!地上六階?冗談じゃない!こんな夢みたいな話実現出来るわけがない!
司教館周辺の再開発。地上6階のマンション。介護施設に宅老施設。クリニック。聖堂は別棟。夢を言葉にして、「検討委員会を発足させたいのだが・・・」言い終わらないうちに仰天。「借金抱えている教区が!ウチの会だって・・・」検討委員・・・を繰り返しても興奮は収まらなかった。夢は語り合うものではないらしい?
いずれの場合も、「それはいい!是非やってみたい」だけで周りが振り回されて気の毒な感じもするのだが・・・。
- 無計画・無反省・ワンマン!
幼稚園のバス導入を巡って、先生たちからバリゾウゴンを浴びせられたことが蘇った。今回はそれほどの手ごわさは感じないとしても、手続き音痴体質は変わっていないらしい。
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ウェブ---教会での活用進化論①