信仰のコツ一挙公開?
昨日ミサ後に出会ったAnonymous Christianの男性は、ボクのもう一つの思いに火をつけた。「不安9割信頼1」と自分を責める彼の誠実な人柄は魅力的だった。しかし、どこか違う。
やっぱり「コツを外している」としか言いようがない。洗礼の恵みを受けていないのだから当たり前と言えば当たり前だが・・・。しかし、コツを外しているのは、何も彼ばかりではない。
飛躍するが、「宣教家族」というのを聞いたことがあるだろうか。家族で、招かれるところならどこでも出かけて自活しながら福音宣教をする家族のこと。このグループの属している共同体の特徴は、「御言葉・共同体・典礼」の三位一体。彼らにとって、学ぶことは集うことであり祝う(典礼)ことであり助け合うこと。ブレはない。
一方、フツウの信者は、聖書、その他の勉強をまじめにやっても共同体や典礼の活性化、そして具体的な相互扶助に、必ずしも繋がらない。赦しあい、違いを認め合うという神の国のアジを出し切れていないのではないかと思う。
しかも、司祭・修道者なのに、さらに司教なのに、我が侭だったり、自分の城を守ることでアタマが一杯だったり、不平不満が絶えなかったり、こだわりが強すぎたり、数え上げると切がない。要するにバラバラ。どうしてそうなの?人間だから当たり前?
認めるとしても、それではミもフタもない。コツを外しているだけなのでは?信仰の仕方というか、「あなたがたは世に属していない」(ヨハネ15,19)という現実を深めようとしていないからではないのか。
ボクをはじめ、司祭・修道者・司教につけるクスリはない?としても、信者には、
- 「信仰するにもコツがあります。信仰はあなたを全人的に改造します」
やってみようかな・・・。
午前中、友人の司祭から、「鹿児島で働いてもいい」という電話。ヤッタネ!
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