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ヤンバルの森

作成者 admin投稿日 2014年06月07日 23時07分 最終変更日時 2014年06月07日 23時07分
森の遊歩道

大滝

ヤンバルクイナ

黙想会明けの昨日(6日)、空港まで行ったものの、ふとヤンバルの森に野鳥を撮りに行くことに。「車を借りたいのですが。」「そちらから会社を選んでください。」横の棚にはおびただしい数のパンフレットが。条件を見比べていたら半日かかりそうなので、 

目の前のスカイナントカレンタカーを選んだ。1日3100円が気に入った。ヤンバルまでは片道3時間と聞いて即延泊願いのメールを司教さんに送った。

車は、ボタンを押すとエンジンがかかる日産の最新型。手続きを済まして11時、いよいよ未踏の地ヤンバルの森思いつきドライブへ。

1時間ほどで高速をを出るとあとは国道58号線をひたすら北上。最初の目的地環境省やんばる野生生物保護センターを目指した。ナビの案内では所要時間1時間45分。

事前の電話のことを告げるとセンター職員が親切に迎えてくれた。「鳥がご専門ですか?」にはちょっと照れ臭かったが、「エーマー…。」道路を横断するヤンバルクイナが出没する地点までは更に1時間と聞いて急遽近場を教えてもらった。

比地川の源流ともいうべき大滝は本島随一。車で5分。礼を言って早速出かけた。確かに5分ほどで着いたのだが、そこはキャンプ場。入場料5百円。「野鳥の写真を撮りたいのですが… 。」「あ、いいですよ。片道40分です。ご自分のペースで無理なくお出かけください。」解せないままキャンプ場に入った。

川沿いに上がって間もなく防災ダム。脇の急坂を登り切ってようやく分った。大滝までの遊歩道が整備されていたからだ。森に入って間もなく、葦の茂みから「クルー」と喉を鳴らすようなクイナの鳴く声が聞こえたので足を止めた。子供の頃、庭先の竹やぶにクイナが住んでいたから間違いない。カメラを構え、しばらく様子を伺ったがコソともしない。諦めてその場を離れた。

それにしても、流石に、国が管理しているだけあってよく整備されている。歩道の両脇には強化プラスチック製かと思われる黒い柵。しっかりした厚手の板の階段に柵の間に張られた丈夫な太いロープ。安全対策もバッチリ。

これまた立派な吊橋を渡った途端に聞こえてきたのはアカショービンとアカヒゲの、いずれも子供の頃たくさん聞いた馴染みの鳴き声だ。むしろ、オオアカゲラとの遭遇を期待していたのだが、それもやがて森の深さに飲み込まれてしまった。

そして、まるで体力を試すかのように次から次と現れる数十段もある急坂に、いつの間にか大滝を見届けることが目的になっていた。ちなみに最長は約70段。「自分のペースで無理しないで…」の意味が分った。

1時間半後、大汗でグチャグチャのシャツを着替えてクイナスポットへ。結局、ヤンバルクイナ生態展示学習施設クイナの森でキョンキョン(飼われているメスのクイナ)に会うことに。幸運にも水浴から羽繕いまでめったに見られない生態の激写に成功。

クイナの交通事故死が多いスポットにはパスして引きかえした。司教緩着は8時。話に花が咲いたのは言うまでもない。

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Re:ヤンバルの森

投稿者 Anonymous User 投稿日時: 2014年06月08日 06時06分
郡山司教様、黙想かいお疲れ様でした。もくそうのわかちあいもありがとうございました。読ませていただきました。
司教様、鳥専門でした?それにしても、写真も専門ですね。とってもきれい!鮮やかな色でヤンバルクイナ?きれいにとれています。ありがとうございました。信徒

「黙想会」というのは?

投稿者 Y教区で求道中の鹿大OB 投稿日時: 2014年06月11日 17時03分
 ヤンバルクイナの写真、見事な一瞬をとらえていますね。飼われているとはいえ、野生の片鱗が見えています。

 さて、求道中が故に、恥ずかしながら、極めて初歩的なことをお伺いします。

 このお話でも出ていた、「黙想会」というのは、いったいどのようなものなのでしょうか?。

 通っている教会にも黙想会についての案内が出ていますので、他の信者の方(何人かの方とは親しくなっていますので)にもお伺いしたことがあるのですが、「静かにずっと黙想したりお祈りしたりする」とか(私のレベルがその程度だから、その程度の説明しかして頂けないのかも知れませんが)、今一つピンと来ないのです。

 ネット検索で調べてみても、「常から離れて、隠れたところで静かに祈る」、などと、やはり漠然としたことしか、書かれていません。

 黙って祈るのはまあわかるのですが、脳からα波が出て、途中で眠くなったりしないのだろうか?。その間の食事や風呂など、人間として生理的に必要なことはどうするのか?。長時間、果たして黙っていられるだろうか(口から先に生まれてきたような人間なので)?。とか、諸々の???(本当に聞きたいこと)が出てきます。

 通っている教会の主任司祭さまに直接お伺いするにも、どうにも聞くことができません(余りにも次元の低いことなので)。

 経験なさった方ならばどなたでもいいので、私のような「レベルの低い求道者」でもわかる程度に「黙想会」とはどのようなものなのかについて、ご教授お願いできませんでしょうか?。

 また、受洗してキリスト者となると、「黙想会」には定期的に参加すべきものなのでしょうか?。

 私だけでなく、他の求道中の方のためにも、基本的なことですが、よろしくお願いしたいと思います。

Re:ヤンバルの森

投稿者 koriyama 投稿日時: 2014年06月26日 17時42分
鹿大OBさん
返事が大変遅いことをお許し下さい。先ほど、一連の気がかり事案が終わって、やっとブログを書いたり、こうして返事を書く心のゆとりができました。黙想会は聞いたりネットで調べた通りなんですが、沖縄での3教区合同黙想会を例にとると、あ、その前に、司祭にとって年一回の黙想は義務となっています。今回は沖縄が当番教区(教区持ちまわり制)なので、会場は沖縄。宿泊は、安里教会横の東横イン。指導司祭はイエスのみ心修道会司祭。ご自分がうつ病になった体験から司祭としての歩みをどのように深めてきたかというお話でした。ミサは確かお昼前だったと思う。午前中2回、午後2回の講話。各講話の後は自由黙想。散歩したり、お御堂で祈ったり自由。お昼は教会ホールで弁当。夕食は同じ場所で地元の皆さん手作りをいただくことも。通常はケイタリング。終わったら三々五々ホテルへ。最後の日だったか、許しの秘跡が一斉に行われます。ざっとこんな感じが普通のパターンです。聞きたかったことってこんなことですか?

お忙しい中で、ご返事ありがとうございます

投稿者 Y教区で求道中の鹿大OB 投稿日時: 2014年06月27日 14時12分
 郡山司教様

 お忙しい中で、ご返事ありがとうございます。おかげさまで何となくイメージが出てきました。詳しい事例を1つ聞かせていただければ、あとは基本を基にした着せ替え人形のようなものですからね。着せ替え人形の人形の部分がわかれば、あとはその場に応じて行けばいいので.....。

 「自由黙想」と言う言葉は聞いていたのですが、ずっと、聖堂で黙々と物音を立てずに祈るものなのかと思っていたのですが、講和を聞いている時間以外は、比較的自由なのですね。大学の集中講義のように、まとめていくつかのお話を聞いて、祈りを高めるようですね。

 まだまだ受洗までにはかなりの時間がかかりそうですが、いつか、黙想会にも参加してみたいと思いました。未熟ながら、最近は、少しずつ祈りを覚えたり、実行したりしているのですが、確かに普段の生活では、なかなか心を落ち着けて祈るような時間もないですからね。

 いつか、といえば、郡山司教様ご自身にもいつの日か、お目にかかりたいと心から思っています(学生時代のように鹿児島に居たならな......、今更ながら、学生時代、ザビエル教会や鴨池教会の前を何度も通っていたのに......、でも糸永司教様の時代ですが)。

 ところで、司祭には年に一回の黙想は義務だと言う事ですが、一般の信徒の場合には、年に一回の黙想の義務はあるのでしょうか?。定期的な赦しの秘跡を受けるは信徒でも義務なようですが、私のような人間は毎週のようにでも赦しの秘跡を受けないと神様に赦されないような気がします(あまりにも改心しないといけないことが多すぎ、しかも実行できないですから......)。

 そういえば「秘跡」という訳語はどなたがつくられたのでしょうか?。日本人は漢語で物事の意味をとらえる傾向があると言われていますが、「サクラメント、sacrament」を「秘跡」と訳された方は、翻訳のセンスを感じます。私のような初心者でも、すっきりと頭に入ってきますからね。

 先日、Y教区の私が通っている教会にもU司教様がいらっしゃいました。はじめて司教の地位にある方のお姿を見たのですが、カッコイイですね!。子供の頃に見てしまったら、壮大なる勘違いをして、「大きくなったら......」と思ってしまいそうです(危ない!危ない!)。

 どこの教区でも召命の減少が危機的な状況だそうですが、お子さまがたに聖職者の方々のカッコイイ姿を見せる事も、もしかしたら召命の減少を防ぐ一つの手法ではないのかな、と求道者ながら思ってしまいました(生意気を言って申し訳ありません)。
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