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老いの霊性

作成者 admin投稿日 2014年06月05日 16時47分 最終変更日時 2014年06月05日 16時47分
みよちゃんからのメッセージ

無病息災は誰もが願うところだが「一病息災」もいい。その方がかえって健康に気をつけるようになる。若い頃は、そんなことを聞いても人ごとだったが、今ではすっかり自分の現実。

 

認知症という言葉がボケにとって代わったのはいつ頃だったか。まだらボケ。母親によく使ったものだ。それはそうと、アイヌ語にはボケという言葉はないらしい。「ああ、神用語(しんようご)を話し出した」と言う。人には理解できない神様の言葉を話すという意味。麗しい心遣い。

聖書の中の老いについても紹介された。僕に馴染みがあるのは何と言っても、「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの外なる人は衰えていくとしても、わたしたちの内なる人は日々新たにされています」(2コリント4:16)。アブラハムの召命は75歳のとき、という指摘にハッとした。聖書の本文にはたしかに「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった」(創世記12.4)。

ハッとしたのは聖書の個所を思い出したからではない。司教司祭の定年は75歳。司祭の場合は少なくとも鹿児島では、「足腰が立つうちは現役」ということになっているが、司教の場合はバチカンに定年になったっことを届け出ることになっている。ここだけの話?だが、実はそのときを楽しみにもしている。しかし、カナダで出会った三つの小教区の主任司祭が引退司教だと知って、「ボクも生涯現役?」の気持ちに駆られたのだが、「75歳の召命」はショックに近い。

75歳は定年ではなくもう一つの召命となれば、「好きなことをして過ごす気ままな老後はボクにはないのだ」と知らされたワケ。あと3年!などと浮かれているわけにもいかなくなった。

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