信仰よろず相談室?
「良く分かりました。」電話の向こうの明るい声に安心した。日曜日のミサに対する不満は説教に関すものだった。長い訴状に久しぶりに腕を振るったのだったが・・・。
四ページもの長い返事の大意は以下のよう。洗礼は自分の意志で受けたがその気にさせたのは神様。つまり、神様の業。これは全ての秘蹟に言えること。説教の良し悪しだけを云々するのではなく、「神様の業としての叙階の秘蹟を受けた人」との視点に立つことが大切であること。その司祭が捧げるミサもまた秘蹟なので神様の業であること。それで、みことばの食卓では朗読される聖書のみことばに主の息遣いを感じ、聖体の食卓では神様の御手の業を感じ、そうして旅路の糧を頂いて神様の信者として生きようとするのが信者の生活。いい説教が聞けるのはありがたいことだが、そうでないからと言ってミサに行かないというのは、「私の記念としてこれ行いなさい」という主の遺言を粗末にすることになる。自分の主義主張も大事だが、主の夢を共有しようとするのが信者の心。
信仰よろず相談室を開いてみたいという思いが再燃した。それに加えて、「インターネットで説教が聞けるそうですが、私はそんなこと出来ないので文章にして下さい」という願いにも心が揺れている。カミガミのない世界が夢なのだがどうしたものか。ともあれ、人間関係から信仰生活全般にわたって信者の悩みは尽きない。「悩まない信仰生活」そんな本でも書いてみるか。
昨日は、鹿児島―宮崎間で原稿一本。今日は大分―宮崎間でブログの原稿。ノートパソコンといってもちょっと荷物になるが今後はこの手で行こう。大分のMEはお昼付き。しかも、ワナで捕獲したシカ肉の刺身も。初体験だがクセがなく柔らかくておいしかった。佐伯までの沿線は変化に富んだ入り江が多く心が和む。得体の知れない白い浮遊物はナンだったか。8:00帰館。遅い夕食のお供はナンと昔懐かしい鞍馬天狗。もしかしてこれがあの篤姫?
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