初ずくめの日々に
舞台劇長崎の鐘。ボクの中で原爆と殉教地がつながった。原爆投下の理由は単純。たまたま視界良好。軍需工場としての造船所が標的からそれて浦上へ。
これを偶然の連鎖とは見ない。「神の計らい!」だと叫ぶように諭す永井隆。しかも、信者密集地「浦上は購いの子羊として選ばれたのだから感謝すべきなのだ!」衝撃的な信仰告白は周りを圧倒して反論の余地を与えない。さらに妥協を赦さない不動不屈のの信仰は愚連隊をも見方にしてしまう。
永井博士。子供の頃から耳にしていた博士のイメージは物静かな聖人。聖人には違いないが、幾分の脚色はあるにしてもあんなにも激しい性格の持ち主だったとは!何よりも驚いたのは作者が、「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です」で始まる平和アピールを引用しながら、永井隆が生きていたらもう一つの長崎の鐘を書くに違いないと結んだことだった。そしてこの作品が「過去をふり返ることは、将来に対する責任を担うことです」という教皇の遺志を継いだ作者の平和アピールだったのではないかと気がついたのだった。拍手が鳴り止まずカーテンコール。素人が言うのははばかられるが、構成の見事さはさすがだった。
当事者の一人として出口に立って挨拶していたら「川内原発3号機増設を拒否してください」の署名活動に協力を求められた。署名の集まりが悪いと嘆いていた。出るごみの処分に困っている風なのに、それに太陽電池や風力発電という安全なものがあるというのに、どうして怖いものを作りたがるのだろうと疑問に思ってはいたのだが・・・。
明けての昨日10日は韓国からのお客様を案内して指宿周辺観光へ。先ず、砂蒸し温泉。「埋められるのだからお祈りしないと。」冗談のつもりだったのだが本当に5人でのお祈りが始まってあわてた。静止するわけにもいかず・・・。初体験にすっかり興奮していたがボクは「砂蒸しの祈り」初体験で驚いた。お昼はこれまた初体験のそうめん流し。移動の車中では片言の日本語でカンシャカンシャ。
薩摩半島最南端の長崎鼻は灯台の向こう、せり出た瀬の先端まで踏破。ぱらついていた雨も上がり湿気を含んだ重たい海風にじっとりした汗を一杯かいた。長年風波に洗われ先鋭化した足場の悪い瀬に腰を下ろしそれぞれに自然を満喫した。夜はくるくる寿司。。「あんたたちのお陰でボクは鹿児島に来ることができて初体験が一杯できた。」世界を回っている引率者のフィリポさんをして思わず言わしめたほどだからよほど「よかった」のだと思う。
そして今朝のミサの朗読は創世記50章。ゆるしを乞う兄たちをヨセフが快くゆるす場面。「「・・・あなた方は私に悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために今日のようにしてくださったのです。・・・」(20節)やっぱり永井隆のあの原爆投下論が蘇る。それはヨセフのゆるし、なによりも十字架上でのイエスのゆるしにつながる完全なゆるし。きっとこの流れを汲む人々は死刑廃止論者に違いない。
枕崎、加世田と巡礼。今日のトリは知覧武家屋敷。思いのほか熱心で一時間という制限時間内に帰れずに駐車超過料金を払ったほど。こんなにも案内のし甲斐のあるお客さんたちははじめて。明日はオフでまた骨休み。
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