声はアジアから
アジア各国からの代表司教や司祭、修道者、信徒、それにバチカン官僚や地域と各機関からの来賓120名が一堂に会して始まったアジア司教協議会総会。テーマは「アジアで聖体を生きる」。
それに先立って、教皇名代のアリンゼ枢機卿は、聖変化の効力を強調され、同時に福音宣教が即改宗を意味しないことを強調された。改宗させることは教会法でも禁じられているという。強制するのは確かに禁じられるべきだと思うが「信者になりませんか」というお勧めはしてもいいのでは?
アリンゼ枢機卿は言う。「聖変化というのは貧しい人々をもっと人間らしい生活へと導くために信者を助けること。」ミサを捧げ、ミサに与る人々の責任は大きい?さらに「神は少数の人々がこの世の良いものの大部分を手にして楽しみ浪費する一方で、大部分の人々は欠乏と悲惨の中に捨て置かれることをお望みにはならない。」それはそうだ!と言いながら、豊かさを享受している自分をどうしたものか。
枢機卿はまた聖体の宣教的側面も強調された。「私たちが聖体の秘蹟で祝う愛は私たちが自分のために取っておくべきものではなくて、その本性からしてすべての人々に分かち合われるべきものである。」で、福音宣教とは「キリスト教信仰を分かち合い、イエス・キリストにおける救いのよきおとずれを人々にもたらすことで、人々が自由に、自らの意志でこの宣言を受け入れることなのです。」
今年の三月生命山での諸宗教対話の研修会で訪れた禅寺のお坊さんが蘇った。「私たちが神に造られたダッテ!?い、一体どんな風に!?」私たちは神さまに造られたものです!この宣言は彼にとって驚天動地。お互いに自分の信じるところをはっきり伝える。これが対話だと学んだのだが・・・。対話って結構アラッポイ?
富を分かち合うというのは細々とでもできるのだが、信仰を分かち合うというのは・・・。幸い、教会には、ボクみたいに弱気な者ばかりでなく、元気ハツラツ信仰を宣言する信者が大勢いるのでまだまだ捨てたものではない!そういって元気印の後ろにソーッと身を隠している自分は無責任?ともあれ、毎日捧げるミサが司祭に問いかける意味は大きい、ことは分かった。
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