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夢を共有したい

作成者 admin投稿日 2008年09月19日 22時01分 最終変更日時 2008年09月19日 22時01分
山里の花

王様の池

台風一過。屋上のパパイヤ二鉢、ドラゴンフルーツ五鉢、その他すべての鉢物を屋内に非難させ台風に備えたのに無風。そして、今日の秋晴れ。久しぶりに洗濯。

午後、暑中見舞いのはがきの整理。残念ながらクジは全てハズレ。それでもテーブルの上がかなりすっきりした。読みかけの「パウロを語る」をほぼ読了。牧師さんとカトリック司祭のパウロを巡る対談。「義認」を持ち出したのはやはり牧師さん。面白いなと思った。

それというのも、二十年ほど前のことになろうか、喫茶店を営む熱心なプロテスタントの信者さんと親しい会話の後で「今度は先生と義認について話がしたい」と言われたのを思い出したからだ。カトリックではあまり耳にしないように思うのだが・・・。神父さんの答えがアッサリしていたのは「行為義認」「信仰義認」という議論に乗りたくなかったから?

もしそうなら、気乗りしない議論ということではボクも同じだったが、「義とされるというのは神の愛のみ手に摂取されること」という神父さんの定義は独特。

午後7:00。きぼうボランティア養成講座で一時間の講話。草創期当時のエピソードを披露した後、福祉という漢字の語源から「フクシは神が立ち止まること」。その元祖がイエス様。ザアカイの前に立ち止まったイエス様こそ相談電話に従事する人の鑑。ザアカイはどうして「財産の半分を村人に分けてもいい」という気になったのか。「しっかり聴いてもらった・人間として相手にしてもらった・大切に接してもらった実感がお金の力に勝った」。「皆さんの行く先々で神の国が始まる」。思わず檄を飛ばした。説教なしにザアカイさんは変わった。ミサを捧げ説教する人も心に留めたい。

何よりもスタッフが生き生きというのがよかった。約30名の受講者には未来の信者(未信者)も多く、しっかり市民に浸透しているのが嬉しかった。「夢を共有したい」。主の思いが目の前で実現していく手応えを感じたひと時だった。

 

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