教会の質が問われた
近年はじめて開催された16教区からの代表司祭と司教たちとの二泊三日の合同集会。豊かな分かち合いがなされ好評だった。
「火種を暖める」ダッタと思う。初めて耳にする表現だ。宣教といえば福音をのべ伝える。宣教活動。外に打って出る。やはり勇ましく教会の前向きな姿が頼もしい。しかし、現実には教会の躍動感はあまり実感できない。もっとも、福音の心を携えて社会の必要に応える活動が日本中で展開されていることは確かだ。あるときは駆け込み寺の役を果たしたり、安らぎの場となって孤独な人々のよりどころとなっていることも確かだ。
しかし、わが教区を見ると信徒数は昨年よりも25名の減。僅少と言えなくもないが、少なくとも右肩上がりではない。会社が売り上げの実績に一喜一憂するのとは違うとしても「数は力」だとすれば教会が弱りつつあることは否めない。思わず腕を組み「ウーム!」と打つ手もなく下を向いてしまう。そんな心細さと不安を払拭してくれたのが冒頭の発言。
信仰の火種は健在。その火種をもっと大事にすればいい。信者一人一人が信仰に結ばれている信頼感に満たされた喜びや安心感があれば教会は間違いなく癒しの場、救いの場としてのオアシスになるに違いない。そういえば、5月に訪問した友人司祭が言っていた。「宣教はしなくてもいい。洗礼を受けても教会に来ていない人に教会に戻ってきてもらうために働こう」と呼びかけているのだという。分団会では「自分自身への福音宣教」という持論を紹介したがこれらは同じ路線。
「元気がない」ということも聞かれた一方で、「元気はつらつ」の教区も実在することが報告された。14年前の未曾有の震災から教会のありようを学んだという大阪教区の体験談は感銘深かった。「周りの必要に応える」がキーワードだと理解した。押し付けがましくなくていい。
そうだ。明日は幼稚園で父親たちに講演。子育ては個育てー新しい子育て文化としてのモンテッソーリ教育ーがテーマ。大阪流に「子供の必要に応えるM教育」としたらいいかも知れないと思った。「必要に応える」ことが福音。
どこかの知事さんの支持率は90%だという。人々の必要に応えているからだ。福音のDNAを引き継ぐ教会は本気で信仰の火種を暖める必要に迫られている。
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(James C.Hunter The servant ) 。「宣教はしなくてもいい。洗礼を受けても教会に来ていない人に教会に戻ってきてもらうために働こう」 これだけだったらちょっと気をつけたほうがいいでしょう。さあ、どうして人は教会から離れたの、この問いは重要だと思う。ある人はもしかしたら教会から離れた方が善かったかも。福音宣教はなんだろう。僕にとってまず上記のAGAPE Love =identifying and meeting their legitimate needs
いろいろなところを見て司教様は そう生きようとしているので、教会内でも、教会外でも
、それでとても感謝しております。田舎のところは特に大変でしょうが、気を落とさないようによいLeading with authority これからもよろしくお願いいたします。
まだ日本だったのですね。
コメントありがとうございました。「宣教不要論」のように聞こえたかもしれません。
友人司祭も文字通りではないと思います。幼稚園の先生たちにしっかり宣教をしていましたから。外ばかり見ないで基本的になすべきことをきちんとしようとも言っていましたから。
司祭たちとの話し合いでも「宣教不要論」は出ていませんでした。ご安心ください。