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パウロの夢に一歩近づきたい

作成者 admin最終変更日時 2006年03月30日 18時44分

1.25ミサ説教音声(mp3)

お断り:音声は既に消去しましたので聞けません。

今週の聖書

使徒パウロのコリントの教会への手紙12,12-14:27

2004.1.24記

体は一つでも、多くの部分からなり、体の全ての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。つまり、一つの霊によって、私たちは、ユダヤ人であろうとギリシャ人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊を飲ませてもらったのです。体は、一つの部分ではなく、多くの部分からなっています。
あなた方はキリストの体であり、又、一人一人はその部分なのです。

今週のポイント「ああ、痴呆が入っているんですね。」何かの折りに、母の様子を話したときさらりと言われた言葉に、抵抗を感じた。他人の母親を「惚けている」とは言えないので当たり前なんだが…。痴呆という漢字そのものがボクにはきつすぎるのだ。で、ボクは「母はボケています」ということにしている。ボケにはどこかまだ笑えるものがあるようでいい。実際、母の側にいると、思わず吹き出すことの方が多い。

 しかし、実は、そうして笑えるようになるまでの道のりは遠かった。ボケが進行しないようにと、課題を見つけては母に突きつけ、失敗すると厳しく非難し、再度挑戦をを求め、などなど。しかし、母はそんなボクをまるで無視するかのように、我が通を悠々と歩んで行くのだった。そして、気がついてみれば、何のことはない。変わっていたのは自分だった!

 「母のペースで行こう。分かっているかどうか、試すような質問や脳の活性化のため?の課題も止めよう。」

 そうしたら、これまで気になっていたことも容認できるようになっただけでなく、トンチンカンなことでも笑えるようになったではないか。くやしいが、母の勝ち!ボケても母親は子育てをする。それ以来の実感だ。少し遅かったが、パウロの夢に少し協力できたかも。

 親子の確執は、肉親の強い絆があるからまだいい。これが、他人とのこととなるとかなり深刻。神様のいたずらか。望まない出会いを強いられるという不測の事態に直面させられた時。

 子供を送り届け、帰りのバスが二人だけになった時の沈黙の重たさ。何とか共通の話題を見つけなければという焦りのような緊張。それを口にした時のぎこちなさ。耳にした過去の裏付けを取るかのような目でしか彼女を見ることが出来なかった日々。

 数度の衝突、そのたびになされた二人での面談。回を重ねるごとに、共通認識が深まっていく手応え。そして、一年半。帰りのバスでは、子育て、政治に諸事百般。自然体の二人が。そして、彼女と子供たちとの車中のやりとりも格段に進化。「先生のクラスはバスの中。」彼女も素直に喜んだ。

 「あなた方はキリストの体。」ああ、何とかパウロの夢に一歩近づいたか。

 今日はカトリック児童福祉の日。大人たちの確執の狭間で放置され、弱くされた命と連帯する日。そこでも、パウロの夢に一歩近づけるように。


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