パトモス島より愛を込めて
2004.4.18ミサ説教音声(mp3)
ヨハネの黙示1,9-11a, 12-13, 17-19
私ヨハネは、あなた方の兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっている者である。私は、神の言葉とイエスの証のゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた。ある主の日のこと、私は、”霊”に満たされていたが、後ろのほうでラッパのように響く大声を聞いた。その声はこう言った。「あなたの見ていることを巻物に書いて、アジア州にある七つの教会に送れ。」
私は、語りかける声の主を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見え、燭台の中央には、人の子のような方がおり、足まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めておられた。
私は、その方を見ると、その足元に倒れて、死んだようになった。すると、その方は右手を私の上において言われた。「恐れるな。私は最初の者にして最後の者、また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と黄泉(よみ)の鍵を持っている。さあ、見たこと、今あること、今後起ころうとしていることを書きとめよ。」
ヨハネが啓示を受けた場所はパトモス島。犯罪者の流刑地だったという。冒頭の書き出しからして、ヨハネも迫害を受けて島流しにあったのかもしれない。どんな生活を強いられていたのか知る由もないが、悲惨さを極めたに違いない。しかし、様子は、まるで宮殿にいるかのように絢爛豪華。ともあれ、七つの教会にあてた重要書簡の発信基地が流刑地だったとは!
昼間手にした知人からのはがき。行をつめ、小さな文字で、まるで堰を切ったかのように、身近な人々に襲いかかった不幸の数々が述べられ、自分たちも事業を盛り立てるために必死に頑張ります、と締めくくられていた。それは、まるで、身近な人々の悔しさを代弁するかのようにも聞こえた。また、不況のせいとはいえ、やり場のない悔しさと怒りをぶちまけているようにも思えて心が痛んだ。肩代わりのきかない深い孤独感。
連日報道されながら、進展のないイラクでの拉致事件。本人たちはもちろん、家族の方々の心痛は言葉に尽くせるものではない。降って沸いたような地獄の日々。
こうした暗い、手の打ちようのない出来事を目の前に突きつけられるにつけ、「主の復活?信仰?それがナンボノモンヤ!」そう言われているようで、思わず身がすくんでしまう。「ソーヤ、ソ-ヤ!・・・」一緒になって、神様にこぶしをあげたくもなる。
それでも、当局側としては、恐る恐るだが、「それって、あなたのパトモス島なんじゃないかと思うんですが・・・。」
「パトモス島?」
「ハイ、つまりあなたの中の孤島、修羅場。ヨハネは修羅場で復活の主の代弁者になったのです。孤立無援の悲惨な中にあって、それぞれのパトモス島から脱出できないでいる人々の脱出を手引きする手紙を七つも書いたんです。復活の主はあなたにもそのお仕事を託されているということなんですが・・・。」
もっとも、これは、どんなレベルにしろ、一応信者用。
もしあなたが、復活を祝った信者なら、付け加えないといけない。「あなた一人を置いて、さっさと撤退したりするような薄情な主でないことぐらいは分かってくれると思う。『死んだようになった』ヨハネに、主がそっと手を伸べて言われた。『恐れるな。・・・黄泉と死の鍵を持っている。』だから脱出の鍵を手にするのはあなた次第。」
「信者でない人には?」
「そうですね・・・」