さきちゃんママのように・・・
ヨハネの黙示21・10-14、22-23
一人の天使が、霊に満たされた私を大きな高い山に連れて行き、聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、天から下ってくるのを見せた。都は神の栄光の中に輝いていた。その輝きは、最高の宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった。都には、高い大きな城壁と十二の門があり、それらの門には十二人の天使がいて、ナが刻み付けてあった。イスラエルの子らの十二部族の名であった。東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。都の城壁には十二の土台があって、それには子羊の十二使徒の十二の名が刻まれてあった。
私は、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と子羊とが都の神殿だからである。この都には、それを照らす太陽も月も必要でない。神の栄光が都を照らしており、子羊が都の明かりだからである。
「さきネ、こんどネ、ひこうきでネよこはまいくの。」「あ、いいなあ。」「えんちょうせんせいもいきたい?」「行きたい、行きたい。」「でもネ、ひこうじょうまでとおいのよ。ネ、だから・・・、むりよ。」「ガクッ。」
4歳になったばかりのさきちゃんのセリフは、まるで、子供を説得するときのお母さん。この年になって、4歳の子供に説得されるなんて。しかも、横浜どころか、飛行場までも無理なんだって。理路整然とした説得力。あきらめるように促すような口調としぐさ。
抗いがたい雰囲気の「さきちゃんママ」に見とれて絶句。それにしても、さきちゃん、園長先生って、そんなにヨボヨボ?
あ、また本題から外れそう。
ヨハネの夢の続きは楽しい。ヨハネが見たという神の栄光。ピッカピカのエルサレムが天から下ってきた。思わず見とれてしまうほどの美しさとそのすばらしさを言葉を尽くして描こうとするヨハネ。よく見ると、神殿がない。そうだ、その必要はもうないのだ。ついに、神ご自身が来てお住みになったのだ。ヤッター!
ヨハネの夢は私たちの夢、みんなの願望。神だけに照らされ、神だけを眺めるウソ偽りのない穏やかな気持ちの自分。さらに、独善と野心にまみれた世界が愛くるしい子羊に目を細める平和な世界に変えられる夢の実現。ああ、はるかな夢・・・。
お母さんだけ?を眺め、お母さんだけ?に照らされたさきちゃん。だから、僕の前でお母さんになれた。さきちゃんに現れたお母さんの栄光?さきちゃんがくれたほのぼのとした平和。あのひと時、さきちゃんママに、神の栄光が現れた。
あなたも宝石のように神の栄光輝く「さきちゃんママ」になれるかも。